深谷ネギをつくったのは誰?

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こちら頂き物ですが、

深谷の「ねぎ味噌せんべい」です。

いくつか種類もあったと思いますが、

有名な深谷ネギを使ったお煎餅。

私はあまりネギが好きではないのですが、

それでもこのお煎餅は、ノンストップ状態で

バリバリ食べ続けてしまいます。

ヤバいですよね。この美味しさ……。

ともかく深谷です。

今日はくしくもNHKの

「プラタモリ」でも紹介されていました。

いわずもがな、大河ドラマの主人公、

渋沢栄一さんの生まれ故郷です。

 

その渋沢さんは、深谷をとっかかりに

大事業家への道を歩き始めています。

 

番組ではネギを育てるのに適した粘土質の土壌。

その土壌を利用して、藍の生産で成功した

渋沢家のスタート。

それから粘土を利用した、

レンガの生産などが紹介されていました。

でも、深谷ネギって

どのように生まれたのだろう?

渋沢栄一さんの実績ではありませんから、

その辺りは述べられていませんでしたね。

 

じつは深谷でのネギ栽培が始まったのは、

明治30年頃からだそうです。

そんなに古い歴史をもっているわけではありません。

そのころ栄一さんは

すでに東京で銀行家として成功していました。

 

そんな折にネギ栽培が始まる。

理由は先の「藍」が関係しています。

近代産業の始まりによって需要が低下し、

こちらの相場が下落してしまうんですね。

ネギはその代替品として導入されます。

これを一大ブランドに育て上げたのが、

やはり渋沢さんの功績……。

 

「栄一」ではありません。

なんとその甥の「渋沢治太郎さん」という方。

ちゃんと農家を継いだ優秀な人物がいたんですね。

 

すでに時代は大正になっていましたが、

治太郎さんは全国でネギが不作だった時期に、

ここぞとばかりに

「深谷のネギ」の名で全国にマーケティング展開。

 

そこからどんどんネギのシェアを広げ、

さらに二次大戦前の恐慌期になると、

養蚕農家を次々とネギ生産へ切り替えることで

不足する食糧需要に応えたんですね。

こんなふうにピンチをチャンスに変えることで

定着していった「深谷ネギ」というブランド。

 

これもさすが、渋沢家の見事な

ビジネス戦略と言えそうです。

 

[効率無視の仕事術]

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