復活の豊川稲荷
- 2021/6/22
- できる人研究所
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先日、赤坂見附に行ったとき、
豊川稲荷が16時で閉鎖してしまい、
お参りもできなかった、という話をしました。
今日はそのリベンジ、
3時前なら大丈夫だろうと訪ねてみれば、
緊急事態宣言が解除されて
夜まで開いているようになっていました。
よかったですね。
それで久々になりますが、豊川稲荷。
「東京別院」ということで、本山は愛知県にあります。
いつもここに来ると、
「どこにお参りするべきなんだろう?」
と迷ってしまうのですが、
優先すべきは正面のお寺です。
そう、本来ここは
「妙嚴寺(みょうごん)」というお寺で、
お稲荷さんを祀った神社ではありません。
じつは本来、祭っている神様も、
「ダキニ天」という
インドの怖い女神さんなんですね。
☆
人を喰らうとされるダキニさん。
これがどうしてお稲荷さんになったとかといえば、
日本では「狐に乗った女神」の姿で
描かれるようになったから。
そもそもが戦の神様でしたから、
鎌倉時代から戦国時代にかけ、
ダキニさんは武士たちに「縁起がいい」と
愛されるようになります。
その流れを受け、江戸時代になってから
この神様を崇拝したのが
かの「大岡越前」さんです。
自宅の庭に愛知から神様を呼び寄せ、
わざわざ祠をつくった。
それが赤坂の「東京別院」の起源になっているんですね。
そもそも庶民の人気が高かった大岡越前さんです。
せっかく祠をつくったのだから、
お参りさせてほしいと、
ここにはどんどん人が集まるようになります。
しかも近くで取り潰しになるようなお寺や神社があれば、
「こっちの神様も引きほしい」と
新しく祠をつくったりするから
どんどん神様自体も多くなっていきます。
結果、「神様のデパートであって、本体はお寺」という
妙な聖域が生まれたのですが、
何よりここでお参りすべき対象は、
太っ腹の大岡越前さんなのかもしれません。
ちなみにこちらは「代々の奉行家」であって、
1人の人物ではないようです。
[仕事ができる人の歴史入門]