一生楽しむ文章術1 書くことによって何が起こる?

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「サーバー更新によるブログ消滅」という悲劇を得て、

IT時代の文章についての価値について述べてきました。

まとめれば、今の時代、

コンテンツとしての文章価値はどんどん下がってしまっている。
内容よりも流動性の方が重要となり、
だからこそエンタメ力や更新の頻度が求められている
ということでした。

ただ、それはあくまで「外から見た価値に過ぎない」
ということも言えます。

なぜなら「文章を書く」というのは、
思考を深めるアウトプットの作業で、
書き続けることによって
自分の頭の中にある情報が論理化され、大系化されます。

この点で私の師匠であった佐藤富雄先生は、
「すべての人が作家であるべき」と言っていたのですが、
ある特定の分野でプロと呼べる存在でいるためには、
その分野で1冊分くらいの本を誰だって書けるし、
「そうでなくなくてはいけない」という
考え方だったんですね。

私だって40冊くらいの本を書いているのは、
最初の1冊を書くことができたから。
1冊書いたあとで、
「このことについても書けるな」と思い、
さらにどんどんテーマが増えていった……。

むろん誰だって本が出せるわけでなく、
昔より現在は、そのハードルも高くなっています。
なんせ出版は、斜陽産業になっていますし、
コロナはますます業界を厳しくしました。

それに対しネットの世界では、
いくらでも書こうと思えば、媒体は作れるわけです。
読まれる読まれないは別にして……ですが。

「それじゃあ意味がない」と思うのですが、
書いてみれば「たくさんの人に読まれないこと」は、
さほど大きな問題ではないと気づきます。

なぜかといえば、
「書くこと自体が非常に楽しい作業だったから」です。
だから自分だって、
大した読者数を持っているわけではないのですが、
ずっとブログを続けてきました。
サーバーの都合で消されても、
こうしてやはり書き続けているわけです。

その「楽しさ」というのを、
いままであまり、伝えてこなかったかもしれない……。

それが改めて考えたことです。

どうすればそれが伝わるのか、
書くことの楽しさは書くことでしか伝わらない
……おそらくはそういうことでしょう。

では何を書くかといって、すぐに思い浮かびませんが、
これからはそれを自分の目標にして、
新しい文章術の構築を考えていこうかな、と思っています。

とりあえず「一生楽しむ文書術」というカテゴリーは
ここで作っていきます!

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