昨日は「津波のような現象」に
日本中が翻弄された1日となりました。
「トンガ沖の火山噴火がもたらした地球規模の海面上昇」
ということなんでしょうかね。
前例のないことだけに、
気象庁もかなり情報収集に苦心したようです。
ただ、先のわからない現象に関しては
「つねに最悪を想定して対処する」が
正しい選択になります。
今の「オミクロン株」もそうですね。
「放っておいても大したことがないはずだ」
というのは、結局のところ
「責任をとる必要ない人」だから言えることです。
A 「なんのブレーキもかけない」という選択をして、
結果的に大勢の被害者を出してしまうケース
B 慎重に行動しすぎて、経済的リスクを負うケース
情報が少ないうちは、どちらのリスクも想定し、
上に立つ人間はすべての責任を負う覚悟で
決断を下さなければならないわけです。
たとえば「会社でクラスターが出た」なんていう場合、
本当はもっとリーダーの管理責任を問うべきなんでしょうが、
訴訟の少ない日本はどうもその辺、甘い気がします。
ただ、日本には災害対策に名言を残した人物がいます。
「天災は忘れたころにやってくる」
というもの。
こちら、慣用句ではありません。
明治の物理学者、寺田寅彦さんの言葉です。
夏目漱石の親友でもあった人物ですね。
彼は関東大震災をきっかけに、
地震や台風など日本の各地で起こる災害の調査を始めます。
そこでわかったのは、
「どんな災害にも必ず、過去における警鐘」や
「同様の失敗例」がいくつも存在していること。
人間はいつまでたっても、
こうした経験から学ぶことができない。
そのときは悲劇に打ちひしがれても、
時が経てば必ず、リスクを過小評価するように
なってしまうわけです。
「文明が進むほど天災による損害の程度も
累進する傾向があるという事実を十分に自覚して、
そして平生からそれに対する防禦策を
講じなければならないはずであるのに、
それが一向にできていないのはどういうわけであるか。
その主なる原因は、
畢竟そういう天災が極めて稀にしか起こらないで、
ちょうど人間が前車の顚覆を忘れたころに
そろそろ後車を引き出すようになるからであろう」
そんな経験は山ほど積み重ねてきた私たちです。
慎重に行動するのは「大原則」と考え、
「自分が責任を負える範囲」をつねに考えねばならない。
今のような時だからこそ
この点はわきまえないとですね。