「美しいものとともに生きた者だけが、
美しく死ぬことができる」
こちらは私が現代語訳させていただいた、
岡倉天心さんの
『茶の本』(致知出版)の最終章より。
「茶の湯」の創始者である
千利休さんについて述べている言葉ですね。
2月28日というのは、
じつはその千利休さんの命日。
といって本当は旧暦を直せば4月になるのですが、
それでも2月28日が
「利休忌」とか「宗易忌」とされているようです。
(公式の茶会が開催されるのは3月28日)
その利休さんの最期の場面の紹介が、
『茶の本』でもラストを飾っています。
ご存知のように千利休は、時の権力者であり、
また長きにわたる友人でもあった
豊臣秀吉に謀反の疑いをかけられ、
切腹することで69年の人生を終えました。
最後の茶会を取り仕切り、
「不幸が他の人間に及ばないように」と
自らが使用した茶器を割り、
解散後にそのまま、腹を切ります。
「よくぞ我が前に現れた
永遠なるこの宝剣よ
仏陀を貫き、
達磨までを貫いてきた剣よ
今度は同じように私を貫き、お前の道を貫くがいい」
こんな辞世の句ですね。
「現代語訳」と言いましたが、原点はこの本、英語です。
明治時代に日本の美意識を
海外の人に伝える意図で書かれた作品。
『武士道』とともに
欧米ではベストセラーになりました。
戦いから生まれた「武士道」の精神と、
平穏を追求する心から生まれた「茶の文化」。
正反対に位置しながら、命懸けなことだけは共通です。
武士道が貫くのは己の使命感であり、
茶の精神が貫くのは、己の美意識。
でも、絶対ゆずれないものがあり、
それを貫き通すために、かつての日本は
「切腹」という証の立て方がありました。
むろんそんなふうに死ぬ必要など
現代においてはありませんが、
それだけの覚悟をもって自分の身を処しているかは、
いつも考えていたいものですね。
自分の美意識を
つまらないことで汚すのは、
本当は死よりも恥ずかしむべき行為なんです。