しづ心なく花の散るらむ

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「ひさかたの光のどけき春の日に
しづ心なく花の散るらむ」

お日様の光がこんなにのどかな春の日に、
どうして桜の花は心を落ち着けることなく、
急いで散ってしまうのだろう……。

『古今和歌集』に収録されている
紀友則の有名な和歌で、
小倉百人一首にも選ばれている歌ですね。

このところの天気の悪さと、風の強さ。
東京はあっというまに、
桜もピークを過ぎてしまいました。
ちゃんとしたお花見は、
残念ながら私もできなかったです。

ただ、画像のように、散る花の美しさは、
感じられますよね。

武士道の精神にもよく例えられる桜ですが、
貴族が情緒的に歌ったのに対し、
もともと武士たちは、
桜の花をあまり好みませんでした。

やはり戦う者にとって、すぐに散ってしまう花は、
縁起が悪いんですね。
「家がすぐに途絶えてしまいそうだ」ということで、
ほとんど家紋にも採用されていません。

ところが平和な江戸時代になってから、
「お花見」の習慣が庶民に広まり、
段々と桜は日本人にとって
いちばん身近な花になっていきます。

そして明治以降、
日本が軍国主義化するにつれて
「桜のように潔く散っていく生き方」が
理想のように言われ出したわけです。

公園や名所にどんどん桜が植えられだしたのは、
民衆を煽ろうとする
国家政策のようなところもあったわけですね。

ただ、今のウクライナがそうであるように、
散った後に残るのは、
やはり「悲しさ」だけになってしまう。

だからそもそもが平和主義者だった
新渡戸稲造さんは、
やがてこの国から「武士道」は
なくなってしまうのだろうと予感した。

でも、桜の花が散ったあとでも
香りの記憶を残すように、
日本人の心に正しく生きようとする
武士道的な道徳観が残れば
いいのではないかと考えたわけです。

だから武士道そのものにも、
単に「死ぬことと見つけたり」という死生観を越え、
その制度や歴史的考察から
より体系化した哲学を見出そうとしました。

桜の季節には、そんな日本人の有様を
しっかりと見つめなおしたいものですね。

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