【古典のすすめ】アンチ鎌倉殿!? 北条家と「貞観政要」

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そういえばまだ、ブログでも取り上げていませんでした。
NHKの今年から始まっている大河ドラマ、
『鎌倉殿の13人』です。

17日は「神回だった」ということで話題になっています。
それまで何となくコメディタッチだったドラマが、
一気に凍りつく展開になりました。

大泉洋さん扮する頼朝が、
忠実だった御家人の上総介を「見せしめ」のため殺させる場面。
「本当は健気なツンデレおじさん」を演じてきた
佐藤浩市さんの名演技もあり、
「頼朝が嫌い」がツイッターのトレンドにもなっていましたね(笑)

日本ではじめて武士政権を作った源頼朝。
彼はそもそもが目的のためには手段を選ばない
非情な人間でした。
最初から身分の低い東国の武士たちなど信頼していないし、
半分は貴族のようなもの。
まつりあげられるのを当然と思っていたところがあります。

でも、そんな頼朝を頂点とし、
のちの「武士道」に通ずる
「格好いい武士」の理想像を作り上げていったのが
このドラマの主人公、北条義時だったわけですね。

これは新渡戸稲造の『武士道』でも述べられていることです。
そもそもが治安の悪かった京都以外の日本を治めるため、
必要悪として生まれていったのが、
地方の武装集団、つまり「武士」です。

それに対して北条家は、
天皇にもつながる源氏をトップに据え、
「御恩と奉公」という形で
国のため、民衆のために戦う規律を整える。
これが「武士道」につながっていきました。

その手本にしたのが、私の現代語訳で20日に発売される
『貞観政要』だったわけです。

この『貞観政要』は、とくに北条政子が気に入り、
学者に命じて和訳をさせ、
北条氏のバイブルに据えたとも言われています。

その背景には、こうした
「支配者=源氏や平氏」の横暴に対する
アンチテーゼもあったのかもしれません。

『貞観政要』の皇帝・太宗は、
自分に反対する者の意見をきき、
部下を徹底的に信頼しようとした人物でした。
その教えは、忠実な部下を見せしめに殺す頼朝と、
真っ向から異なるものです。

おそらく北条氏は、そんなふうに
「信頼」でつくりあげる関係こそ武士同士の本道で、
権威によらない支配をずっと模索したのでしょう。
ですから源氏の将軍も実質、
3代で名目のみにしてしまうわけです。

その後の室町時代、戦国時代を通じ、
武士たちは「自らが信頼する人物についていく文化」を
つくりあげていきました。
これが平和な江戸時代に帰結するのですが、
だとしたら「貞観政要」が果たした役割は
大きいのかもしれませんね。

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