【賢者の言葉】その日、少女の夢が始まった

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「1942年6月12日。
あなたになら、
これまで誰にも打ち明けられなかったことを
何もかもお話しできそうです。
どうかわたしのために、
大きな支えと心の慰めになってください」

「日記」……というより、
キティーという、架空の読者にあてた
書簡ないしは、私小説に近いのかもしれません。

今から80年前に13歳になった、
生意気な少女が2年間、書き綴った記録。
そう、「アンネの日記」ですね。

6月12日はアンネ・フランクの誕生日であり、
「世界で最も読まれる日記」が始まった日。

日記は占領下のアムステルダムの隠れ家で、
13歳の誕生日に父親から贈られたものなんですね。
その日に彼女は書き始めています。

でも、普通の日記でなく、架空の読者に当てたのは、
やはり「文章を誰かに読んでほしい」という
思いがあったのでしょう。

そう、アンネさんは結構あざとい。
いずれ平和になったら、本を世に出して、
「作家になるぞ」なんてことを
真面目に思い描いています。

「私は将来、みんなに喜びを与える存在でありたいのです。
私の周囲にいながら、
実際には私を知らない人たちに対しても」

「今こそ私は、ほかの少女たちとは異なった生涯を
送ってみせると心に決めました。
ほかの少女とは異なる生きかたをし、
さらに大人になったなら、
普通の主婦たちとは異なる生き方をしてみせると」

「このように自分を開花させ、文章を書き、
自分の中にあるすべてを、
それによって表現できるだけの才能を!」

うん、自画自賛……(笑)
生きていれば、
なかなか編集者泣かせの作家になったのではと、
職業がら思う。

ただ、彼女がアウシュビッツで亡くなったのは、
日記の始まりから、およそ2年後。
世界は大きな才能を失ったわけです。

でも、彼女はある意味、夢を実現させています。
日記の中には、こんな言葉があります。

「私の望みは、
死んでからもなお生き続けること!」

死と隣り合わせの2年間で彼女は明らかに、
自分の存在を永遠化するものを残しました

ただ、彼女が望んだ平和だけは、
世界もまだ残念ながら手にできてしませんね。

「私にできるのは、ただ泣きながら祈ることだけです。
どうかあの黒い輪が後退して、
私たちの前に道が開けますように」

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