【歴史入門】『貞観政要』と武士の理想

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久しぶりに紹介する
現在、好評発売中の夏川訳の古典
超約版・貞観政要
(ウェッジ刊)ですが、
実はその名前がついに
大河ドラマの『鎌倉殿の13人』で登場しました。

それは北条義時が盟友の三浦義村と、
お酒を飲んでいた場面。
そこに、いつのまにか子役からオッサンに成長していた
義時の息子・金剛がやってきます。

「お前も飲んでいけ!」と、後に義父となる義村。
対して「まだ早い」と、義時。

で、金剛は断るのですが、その言い訳です。
「今日は『貞観政要』の続きを読みたいので遠慮します」
みたいなことを……
読んでくれたのね。金剛さん(笑)
まあ、私の訳でないことは明白ですが、

そもそも北条政子さんの愛読書だった
『貞観政要』ですが、
北条家のバイブルとして
甥にもちゃんと受け継がれていたということ。

この金剛さんは、のちの北条泰時。
義時の後を継いで執権となり、武士の最初の法律である
「御成敗式目」を定めた人物として知られています。

じつはこの法律によって、はじめて
「武士は民を守るために存在している」
という大前提が確立します。

源平の合戦からずっと続いた権力闘争を経て、
出来上がった幕府は、
ただ勝者が国を収めているに過ぎなかった。
「そうでなく、武士は国の平和を維持する存在なんだ」と。

そう、この法の設定によって
日本は江戸時代まで続く「武士の国」になった
といって過言でないわけです。

「従者は主人に忠を尽くし、
子は親に孝をつくすように、
人の心の正直を尊び、曲がったのを捨てて、
土民が安心して暮らせるように」

こちらは式目を定めた泰時の言葉ですが、
『貞観政要』の考え方と一致しています。

「為政者の言動の1つひとつを
天はきちんと見ているし、民衆もきちんと見ている。
よくない言動があれば、天は私を卑しむし、
民衆たちは私に不満を持つ」

正義がつねに実行され、公平に政治が行なわれるのが
『貞観政要』の理想。
ただ、力が支配する武士の世界では、
必ずしもそれがまかり通るわけではありません。
どことなく現在のウクライナの戦争でも、
そうした無情さは垣間見れますね。

このことはドラマの中で
頼朝や義経の残虐性や理不尽な殺戮に
ずっと振り回されてきた北条氏に象徴されます。
半分は貴族階級で根っからの武士である彼らには、
「勝つために手段を選ばぬのが当然」
という感覚があるわけです。

それでも「武士=正義」の理想を求めたのが、
北条氏のつくりあげた方向性であり、
残虐な戦争が続く国内でも
「武士道」という名目的な道徳観を育んでいきます。

そう考えると『貞観政要』という書物、
日本の歴史の流れにも
大きく関わっているのかもしれませんね。

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