すでに発売されている私の現代語訳、
『超約版・戦争論』
(クラウゼヴィッツ著、ウェッジ)。
好評発売しておりますが、本書のオビには
「ウクライナ戦争で再注目!」とあります。
そのウクライナで、いよいよ事態が
末期的な局面を迎えています。
ロシアによる強制的な人民投票による占領地の併合と、
強制的な徴兵が部分的に始まりました。
おかげでロシア国外に
逃げている若者も多く出ているようですが、
なんだか文字通りの
「ロシアンルーレット」みたいな感じになっていますね。
そもそもプロの兵隊がボコボコにされて
その補充に戦いたくない人間を大量に連れてくる……。
それで戦況を逆転できるわけもありません。
実は勇気の素養がない兵士を戦地に動員することは、
クラウゼヴィッツが「戦争に負ける要因」として
大きく掲げているものです。
『戦争論』では、「勇気」に関して
さまざまな考察をしています。
その定義もさまざまなのですが、
「危険に立つ向かう勇気」として
2つの種類をあげています。
第一に
「その人の性格や、普段の習慣から生まれた
本能的な勇気」。
第二は
「名誉、愛国心、熱狂など、社会的な動機や
個人の意欲から湧き出てくる勇気」。
そのうち大切なのは、
第二の勇気……かと思いきや、
そうではないんだそうです。
必要性や使命感から生まれた勇気は、
本当の困難に直面したときに崩れやすいとのこと。
だから本当に強い兵士を作りたいなら、
実際は性格面から育て上げていくしかない……。
それでは元も子もないと思うのですが、
考えてみれば武士の世界でも
子供の頃から勇気を鍛える訓練を続けているわけです。
新渡戸稲造さんの
『武士道』にはそのことが記されていますし、
「スパルタ教育」という語源も、
そもそもは戦士の国だったギリシャのスパルタが
子供たちに施した厳しい軍事訓練に根ざしています。
それが実際に、戦士の国で
本当に強い兵を作るために行なわれてきたこと。
そうした文化を持った国では、
「自分は危機に向かって戦うぞ」と
最初から率先して立ち向かう人でなければ、
戦わせてはいけないことをよくわかっていた。
だから子供のころからの指導で
性格や習慣に勇気の必要性を刷り込ませたわけです。
その土台のない人間にいくら戦う道理を説いて
戦場に連れてきても、戦力にはなりにくい……。
それが長く軍務についてきたクラウゼヴィッツの結論でした。
本当にウクライナにとってもロシアにとっても、
悲劇が起こらないことを
私たちは外から願うしかありませんね。