神田川と松尾芭蕉

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こちらは地下鉄・有楽町線の
江戸川橋駅のすぐそば、
文京区の「江戸川公園」という場所です。

近くには出版社の多いエリアで、
この界隈に来るときは必ず寄っていたものですが、
コロナ禍もあって久々になりました。
気づいたら、この地域に残っている出版社も
少なくなっていますね。

見えている川は、神田川です。

春は桜の名所で、川沿いにずっと
美しい景色が広がる場所。
結婚式場の椿山荘に沿って遊歩道も伸びています。

もともとこの辺りは、
九州の細川家の大名屋敷のあった場所でした。
先には「肥後細川庭園」という
大きな庭園も整備されています。

この神田川が、
江戸時代には「江戸川」と呼ばれていたから、
ここは「江戸川橋」と呼ばれているとのこと。
江戸川区とは関係ありません。

そしてこの「江戸川=神田川」は
江戸の町に水を引くために作られた
「神田上水」の名残り。
つまり人工的に作られた川なんですね。

川を作ることを計画したのは、
江戸のグランドデザインを描いた人物、
つまり、徳川家康本人です。
実行者は大久保忠行という家臣でした。

もちろん当時から大変だった治水事業です。
今の東京の川もそうですが、
江戸時代には何度も何度も
護岸工事によって改修されているんですね。

そんな工事に土木事業者として
働いていた人物がいます。
それがじつは俳聖の松尾芭蕉でした。

まだまだ作品と俳句教室では
食べていけなかった時代。
芭蕉さんはこの地に住み込みで働き、
土建屋さんと俳人のダブルワークをしていたんですね。

苦学生ではなく、
塾長がバイトというのも壮絶ですが、
つまりは俳句の神様も苦労していたんですねえ。
それで道を切り開いた姿勢には頭が下がります。

ちょうど近くには彼が住んでいた
「芭蕉庵」という場所も残っています。
この近くに来たら、ぜひ行ってみるといいでしょう。

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