便利で安全な世の中になることの怖さ

毎週配信メルマガ「賢者の会」通信はこちら

最近、Amazonの配送が
また進化したようですね。

コロナ禍で、できるだけ対面を避けるようにして、
荷物を玄関に置き、メールで知らせてくれる……。

そのやり方は変わらないのですが、
配達する人の手間が少々、かかるのでしょう。
最近は配達者の不足と、
重労働の問題が指摘されています。

だからメールは定型化して、
その代わり、玄関と荷物を撮影した写真を
送ってくれるようになったようです。
画像のように。
これも結構、面倒くさい気がするのですが……。

コロナのこともありますが、
最近は物騒になり、
配達者への不安感も大きくなっています。

そんな時代だからこそ、
荷物を置いて写真だけ送っていくサービスは、
ウケているのかもしれませんね。
1人暮らしの人などは、怖さもあるでしょう。

 

ただ便利だし、
「行き届いているな」と思う反面、
煩わしさと寂しさも感じます。

だって、そもそも私は家にいるわけです。
ベルを押してもらえば出てくるし、
ちゃんと荷物を受け取る。
「ありがとうございます」
「ご苦労様です!」
「なんか天気が悪くなってきましてね」
なんて、やりとりするだって悪くない。

地域担当者がいる場合、顔を覚えると、
会話したりすることもあったものです。
そういえば恵比寿にいるときは、
大学生の子がよく配達に来ていました。

そういえば不在のとき、
その昔は隣の家で荷物を預かってもらうことも
よくありました。
それをきっかけに、お隣さんの様子を聞いたり、
なんか届け物だったときは、お裾分けもしたり。

今は「迷惑もかかる」し、
そもそも、お隣が何者かわからないことも多い。
トラブルを避けるためにも、荷物を預けることなんて、
ほとんどなくなりましたね。

人との接触機会をとことん減らして、
安全で効率的な世の中へ……。
それは正解なのでしょうが、ちょっと寂しい気もします。

便利になっていくのはいいけど、
本当に私たちにそれはいいのか?
というのも
コミュニケーションは情報収集の機会であり、
私たちがスキルアップする糧になっているものです。

便利になっているぶん、
失っている貴重なものもあるのではないか?
私たちは考えなければいけませんね。

関連記事

ページ上部へ戻る