ナムって何だろう?

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「清正公」として知られる覚林寺に
貼ってあったこちらの標語。

「南無と申す字は敬う心なり」とあります。

「内房女房」とは、鎌倉時代、
静岡に住んでいた名門士族の奥さんだったそうですが、
それに対する日蓮聖人の回答ということですね。

「南無妙法蓮華経」とか「南無阿弥陀仏」の
「ナム」って一体、何だろうか?

あまり考えたこともありませんですね。
「南が無い」って、
それはいいことなのだろうか?

じつは単なる当て字で、
「南の方向」とか「無い」とかは、
まったく関係がないそうです。

もとはサンスクリッド語の、
「ナモ」とか「ナム」に当たる言葉。

今でも名残がありますね。
インドとかタイでは、
「ナマステー」なんて挨拶します。

「ナマス=南無」。
「南無」は敬称で、
英語の「dear」のような言葉になるのか。
「テー」は英語の「you」にあたる言葉ですね。

すると「南無阿弥陀仏」は、
「マイ・ディアー・アミダ様」
という感じになるのですが、
本来の「ナム」には「お任せする」とか、
「あなたにすべてを委ねます」という
従属の意味があるそうです。

英語でいうところの
「My Load」のような感じですかね。

すると「南無阿弥陀仏」であれば、
「阿弥陀仏にすべてをお任せします」という意味。

「南無妙法蓮華経」であれば、
「法華経の教えにすべてを委ねます」
ということ。

それぞれ浄土真宗、日蓮宗のお題目ですが、
「嘘でも唱えることで救われる」と
両者の宗派では説いているわけです。

それだけ力のある言葉、ということなのでしょうね。

覚林寺は今、一本だけある河津桜が満開で、
一号線から通りからの目立っていました。

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