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ダムが語る歴史
- 2023/4/30
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昨日は「道の駅どうし」を紹介したので、
ついでにこちらも記述しておきましょう。
中央道の相模湖インターを降り、
県道76号を通って道志村へ向かうと、
いきなりダムの上に案内されます。
幅の広い車だったら涙しそうですが、
こちら「道志ダム」ですね。
幸いにも通る車もなく、
脇に車を停めて見学することもできました。
ちなみに下を見るとこんな感じです。
これ以上覗き込むと、落ちそうで怖いです(笑)
画像で気づくように、
正式名称は「神奈川県道志ダム」。
つまり山梨県ではなく、神奈川県に属しているんですね。
じつは道志村という地域は、
神奈川県と密接に関わっているそうです。
というのも道志川が
横浜の水源になっているんですね。
だから「水源の郷」ということを
現在も大々的にうたっています。
その歴史は明治時代にまで遡ります、
開港以来、日本は横浜をその玄関口としたのですが、
ここに外国人たちが居住する大きな歳を築くには、
「水をどこから持っていくか」
という問題を抱えました。
そこで1883年から、イギリス人の技術者、
ヘンリー・パーマー少佐が
多摩川や相模川の水源を調査。
最終的に相模川の支流である
道志川から横浜へ水道を引くことに決めたんですね。
ダムもその頃からの治水事業の一環で、
1930年台という古い時代から、
このダムは建造が始まっています。
目的は水道の安定化と発電のためで、
「奥相模湖」という人工湖を貯えています。
といって現在は役割も少なくなっているようですが、
じつは日本の近代化を象徴するようなダムが、
道路の一部にもなって存在しているわけです。
可能ならもっといろいろ見学したいところ
……ですが、
あまりその辺は優しくなっていそうではない(苦笑)
でも、最近は「ダム好きの人」も多いので、
盛り上げるのはいいかもしれませんね。