歴史はトライ&エラーの繰り返し

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5月末に吉野ヶ里遺跡で見つかった
弥生時代後期の石棺墓。
副葬品などは何も見つからなかったそうですね。

つまり、「卑弥呼の墓かどうか」は、
“不明”ということ。
この地が邪馬台国だったかもわからない。
畿内説が有力な現状もそのままですから、
日本史的にはよかったのかもしれません……。

とにかく発見に期待した人にとっては
「残念なこと」ですが、
遺跡の発掘なんていうのは、
たいていはそんなものです。

私もその昔、考古学を学んでいました。
大したものが出てこなかった調査には、
何度参加させていただいたことか。

それでも丁寧に発掘成果をまとめて、
報告書をつくる。
そんな小さな研究の積み重ねが
歴史に眠る真実を明らかにしていくわけです。

そう言ったのも、じつは6月18日というのは、
「考古学出発の日」なのだそうです。

そのエピソードは、以前にもブログで
紹介しました。
1877年の同日、東大の招きに応じる形で
アメリカから1人の動物学者が来日しました。

エドワード・S・モーセさん、ですね。

当時まだ30代でしたが、
進化論に傾倒し、まだ開国したばかりで
謎に満ちていた日本の自然調査に
大きな可能性を抱いたようです。

そんなモーセさんが来日した日、
横浜の港から新橋へ向かう汽車の中で、
早速、彼は大発見をします。

「あれ、貝塚だろ?」

これが大田区と品川区にまたがる
「大森貝塚」だったわけです。
翌日には調査の依頼を出し、
3ヶ月後から発掘調査を開始。
すごい行動力ですよね。

そして貝塚は縄文時代のものでしたが、
ここで「縄文土器」が正式に発見され、
日本史における「縄文時代」という時期の存在が
明らかになったわけです。

ただ、間違いもありました。
モースさんは大森貝塚で発見された人骨を
「食人の証拠」としたのですが、
現在は埋葬によるものだと明らかになっています。

そんなふうに1つひとつ、間違いを修正しながら
事実を解明していくのが
歴史研究の世界であるわけです。

結局のところ成果を生むために必要なのは、
大発見の機会をつかむ運でなく、
地味なトライ&エラーを続けていく
「根気」なのでしょう。

それはおそらく、どの世界でも同じこと。
忘れてはいけないことですね。

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