外国人大使が教えてくれた「富士山」の魅力

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7月26日は、外国人が初めて
富士山に登った日……なんだそうですね。

一体、誰がこの登山を行なったのか?

これは幕末の頃に、
イギリスの駐日大使として日本に滞在した
ラザフォード・オールコックさん、という方。
1860年に登山を敢行したそうで、
富士山の五合目には碑も立っているそうです。
画像は彼らが残したスケッチとして、
サイトに紹介されている絵になります。

実はこの方、私はたびたび
武士道』との関連で紹介しています。

というのも幕末の英国大使として駐在しながら
日本文化を非常に愛し、
本などを書きながら大絶賛で
ヨーロッパに日本のことを紹介していたのが、
この方なんです。

特に私の地元にある東禅寺が
日本におけるイギリスの公使館になっていましたが、
彼の滞在中に攘夷派に襲撃されています。

にもかかわらず、
一貫して日本びいきをしてくれた
当時としてはありがたい外国人だったわけです。
明治になって日本人が書いた
『武士道』や『茶の本』がベストセラーになる
下地にもなったでしょうね。

このオールコックさんの登山、
日本にも思わぬ影響をもたらしました。

というのも、それまでの江戸時代では、
富士山登山というのは、
「下々の者がやること」として
幕府はあまり歓迎していなかったようです。
徳川のお膝元だったにしては、少々意外ですよね。

歴史をひもとけば、
富士登山を日本で初めて行なったのは、
聖徳太子とされます。
そのころは神聖な山であったのでしょうが、
この東国の山を支配する地元の権力者は
目まぐるしく変わっていきます。

やがて富士山の登山者は
修験者から庶民になっていくのですが、
平和な江戸時代になると
「富士講」という
宗教団体主導の富士登山が流行していきます。

これによって武士などの身分の高い人々は、
登山には参加しづらくなってしまったんですね。

けれども「イギリスの大使が登った」という事実は、
日本に大きな影響を与えます。

海外ではセレブの人々が、
積極的に登山などの冒険を実行する。
やがて日本でも登山が発展していきました。
ちょうど鉄道も発達したのが大きかったですね。

日本が誇る世界遺産の富士山ですが、
じつは当初から、
「日本人だけの山」ではなかったわけです。
私たちは世界の期待にも
応えていかないといけませんね。

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