賢者の言葉21 「戦争は暴力以外の何ものでもない」という原則

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「戦争とは、規模を大きくした
ケンカ以外のなにものでもない」

こちらは何度も紹介している
クラウゼヴィッツ、『超約版・戦争論』の
冒頭です。
(古典ページ→こちら

この意味の深さというのを、
今のイスラエルvsハマスの惨状を見ると、
本当に実感します。

「戦争とは間違いなく暴力的な行動であり、
その目的は敵対する相手を、
こちらの意志に従わせることに他ならない」

19世紀、クラウゼヴィッツは、
今もお手本とされる「戦争の原則」を本書でまとめあげますが、
大前提として、これから語るのは
「暴力の行使である」ということを
宣言しているわけです。

「戦争とは野蛮なものであり、
私たちはそれを理解して
戦争という手段を行使する必要がある」
「戦争とは気晴らしで行なわれるものでも、
強烈な闘争心や勝利欲に
駆り立てられて行なわれるものでも、
気まぐれな熱狂にほだされて
行なわれるものでもあってはならない」

国同士が戦争を繰り返していた19世紀、
軍人だったクラウゼヴィッツは、
迫ってくる敵に対処せざるを得なかった。
でも、それは決して「正しい行為」などではない。
「避けることができなかった暴力を
仕方なく行使する」に過ぎないのです。
「手を血で染める悪を実行するのだ」という前提を理解して、
私たちは「戦う」という
選択をしなければならないのだ……と。

そう、こんな前提がなくなっているから、
いつまでも戦争がなくならない。

イスラエルは民間人の犠牲覚悟で、
「ガザ地区を空爆する」と言っているし、
ハマスは「決して逃げるな」なんて
民間人に呼びかけている。

みんな大義名分が先行して、
「暴力によって関係ない民衆がどんどん死んでいく」
という、いちばん「あってはならないこと」が
どこかに吹き飛んでしまっているわけです。
クラウゼヴィッツさんが、
こんな現代の戦争を知ったら、どう思っただろう。

まあ、かくいう日本だって、
かつて天皇陛下がいなければ、
一億総玉砕の可能性だってあったわけです。
アメリカは原爆を落とすことに
躊躇ありませんでした。

戦争をやればやるほど、
結局は皆、感覚が麻痺していくわけです。
だからこそ「当初の大原則」に戻る必要がある。

世界のリーダーにまずは
この『戦争論』に戻るころから
私は始めてもらいたいですね。

画像はガザではなく、ヨルダン川西岸。
戦争さえなれば、美しい場所です。

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