「川の駅」から見た風景
- 2023/11/27
- できる人研究所
少し前に立ち寄った場所になりますが、
こちらは千葉県の
「水の郷さわら」から見た利根川の風景。
対岸は茨城県になりますが、
果たしてどれくらいの距離があるのだろう。
長さでは信濃川に次ぐ2位、
流域面積では日本1位を誇る河川です。
利根川は、その昔から
「坂東太郎」と言われてきましたが、
東京の川とは、少しスケールが違いますよね。
こちら「水の郷さわら」は、
「道の駅」であるとともに、
「川の駅」でもある場所。
「川の駅」というのは聞きなれない言葉
かもしれませんが、
その昔の日本人は、港から海を通って、
川や運河をさかのぼり、物資を運んでいたわけです。
なるほど「川=道」であるなら、
中継地に「川の駅」があるのは必然か……。
とはいえ、実のところ水運と関係なく、
川のそばにある道の駅を、普通に「川の駅」と
今は呼んでいるそうですね。
ただ、この「水の郷さわら」は、
実際に水運の中継地として栄えた場所。
これは今でも同じで、ここはマリーナとして
海へも出れる「船を置く場所」としても
活用されていると思います。
ただ、その昔はクルーザーとかが結構
置いてあったような……。
先日はほとんど見ませんでしたね。
時代が時代だからかな。
つまりは「川の港」として繁栄した、
佐原のこの地。
雄大な自然があってこそ……と思いたいのですが、
じつはこの風景、
人間がつくったものだと知っていたでしょうか?
誰がつくったのかといえば、そう、
徳川家康さんですね。
彼が始めた「利根川東遷事業」というものですが、
その昔の利根川は、荒川と合流し、
東京湾へ注ぎ込む河川だった。
江戸、つまり現在の東京をつくるため、
この川を荒川から切り離し、
銚子へ流れている河川へと合流される大工事が、
17世紀を通じて行なわれたんですね。
それによってできた新しい河川は、
ずっと江戸や関東地方の経済を支えてきた。
ただ、人工的につくり上げた川ですから、
何度も氾濫が起こり、
長く長く、これを改良する事業は続いたわけですね。
よくも悪くも、私たちは自然を都合よく改変して、
この国で、この地球で生活している。
環境について云々いう前に、
まず私たちはそのことをもっと自覚するべきなのでしょう。