ビートルズに憧れて〜そんな人生があってもいいじゃないか

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先日は、ジョン・レノンの命日にちなんだ話をしましたが、
今日はこちら。

久しぶりに引っ張り出してきたLPレコードですが、
ポール・マッカートニーがウィングス時代の
1978年に出した
『ロンドン・タウン』というアルバムです。

売っているのは、ポールと、
亡き奥さんのリンダ・マッカートニーさん。
そしてもう1人はといえば、
ウィングスのメンバーとして
マッカートニー夫妻を支えてきたギタリスト、
デニー・レインという方。

自分で曲もつくり、歌もうたっています。
なかなか美しい曲もありますね。

12月5日、新型コロナウィルスの後遺症だそうですが、
間質肺炎が悪化して、
79歳でお亡くなりになったのこと。
お悔やみ申し上げます。

最近のビートルズファンで、
この人のことを知っている人は多くないでしょうし、
「ウィングス」自体も知らない人が多いかもしれない。

私もリアルタイムではなく、
後追いですべてのレコードや CDを揃えているのですが、
実のところ評判はあまりよくない……。

むろん「Band On The Run」や「夢の旅人」など、
名曲は数限りないし、大ヒットもしています。
ただ、ビートルズ時代の
ポール・マッカートニーの功績に比べれば、
曲作りは適当だし、面白くもなく感じてしまう。
そりゃ比較対象が高レベル過ぎですものね。

しかも「ウィングス」というグループ自体も、
かなり不安定でした。

ビートルズ解散後、
ポールはかつてのメンバーに匹敵するような
最高のロックバンドをつくりたかったのですが、
完璧主義を目指すワンマンぶりに、誰もついていけない……。

よってメンバーは固定できず、
誰かが入っては辞めていくという悪循環だったのですが、
そんな中でずっとメンバーに残り、
奥さんとともにポールを支え続けようとしたのが、
このデニー・レインさんだったんですね

自分がかつてのジョン・レノンや、
ジョージ・ハリソンのような天才になれないのは、
よくわかっていた。
でも、ビートルズを愛し、ポールを師のように感じ、
それだけに空回りし続ける彼を、
放ってはおけなかったのかもしれません。
ほぼ10年にわたり、一貫して彼を支え続けました。

不幸なことにウィングスは1980年の10月、
伝説的な世界ツアーの最中に、
よりによって日本においてポール・マッカートニーが、
大麻不法所持で捕まったことにより中断。

その2ヶ月後にジョン・レノンが暗殺されたことで、
ポール・マッカートニーがすっかり意気消沈し、
ウィングス自体が宙ぶらりんになってしまいます。

その後、バンドは事実上、解散。
ポールはソロで活躍を再開するのですが、
「デニー・レインはどうなったのかな?」とは
なんとなく思っていました。

細々と活動を続け、ポールとも最近になって、
接触するようになっていたそうですね。

実は私はその死を、ポール・マッカートニーの
公式ツイートで知りました。
「君を知れて最高だった」と彼は言っています。

自分が主役にはなれなかったけれど、
自分が愛する者のために一生懸命に頑張った人生。
それでも残した功績は、素晴らしいのではないか。
ぜひ機会があったら音楽を聴いてみてほしいですね。

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