久々、今日は自分の現代語訳書、
『超約版 戦争論』の話ですが、
クリスマスになんで戦争論か……と
思う人もいらっしゃるでしょう。
さまざまな説はありますが、
公式的には2023年前のクリスマスの日に生まれた
1人の男の存在が、世の中を変えてしまった。
当人はまったく望まなかったでしょうが、
たくさんの戦争が、その結果、
起こってしまったわけです。
そして現在も彼が生まれた場所、
イスラエルのガザ地区で続いている……。
とはいえ、ウクライナ戦争と違って、
私はガザ地区での混乱を、
あまり『戦争論』との関係で論じてはきませんでした。
どうしてかといえば、
たぶんクラウゼヴィッツさんは、
今のガザ地区での争いを「戦争」とは
見なさなかっただろうから。
彼曰く戦争はあくまで「政治的行為」であり、
止められない犯罪行為に対して、
犯罪行為で押収しているような現在の戦闘行為に、
戦術はともかく、「戦略」は関係ないわけです。
実際、もっとルールに則ってきちんとテロリストに対峙し、
人質解放の作戦を世界と相談して実行していけば、
これほどの民間人被害を拡大する惨事にも
ならなかったのではないか。
とはいえ、「これを戦争とみなさないだろう」と言いましたが、
実はクラウゼヴィッツの『戦争論』に、
対処の仕方はちゃんと書いてあります。
「民衆による戦闘行動は
明らかに戦況を左右する戦力であり、
戦争を議論する私たちの立場からすれば、
政治的な立場からの考察など関係ない」
ようするに「民衆を敵に回すことだけはするな」と
クラウゼヴィッツは言っているわけです。
それでは勝てる戦争も勝てなくなる。
理屈はともかく、
イスラエルという国に属する民衆であるガザ住民に
被害を出し続ける現政権のやり方は、
クラウゼヴィッツ流に言えば、
言語道断ということになるわけです。
今から2023年前に生まれた男性は、
やがてその土地の宗教であるとともに
思考様式でもあったユダヤの教えに疑問を持ち、
キリスト教を創設することになる。
そして危険分子とみなされ、処刑されます。
ところがこのユダヤ人の国が、
周辺諸国に侵略されて解体される一方で、
処刑された男の思想は、
世界に広まり覇権をとるようになった。
そんな世界の中で、ユダヤ出身者は長い歴史を通じ、
迫害されることになります。
迫害に迫害を積み重ねられた結果、
彼らは結束して、元の地に戻ることにする。
その場所の新しい住民となっていた、
イスラム教徒を追い出して。
この追い出された民の一部がガザ地区住民であり、
そこから生まれてきた武装組織のハマス。
イスラエルは最初から、
それを「同胞」とは見なしていないわけです。
しかし歴史を見れば「民衆=同胞」ではありません。
そこには身分も考え方も異なるたくさんの人々がいて、
たくさんの異なる習慣で生きている人間たちがいる。
それを排除する考え方に疑問を呈したのが
そもそもキリストさんだったのですが、
すべてを敵に回していたら、
「他国を撃退できるような強国はつくれない」と
クラウゼヴィッツさんも考えていたわけです。
ヒトラーが生まれる前、イスラエルが誕生する
ずっと前のことでした。
なのに2023年にもなって、なぜこんなことが起こるんだ?
じつはイスラエルでも、
パレスチナ人とユダヤ人の和解はどんどん進んでいたとか。
そんな中で時代に逆行する争いが起こっているのですが、
世界を見れば、どんな宗教の人も一致して、
平和の声をあげているわけです。
古典を読む私たちも、
原理原則をしっかり学ぶ必要がありますね。