歌い続けてくださった人生に感謝
- 2024/1/10
- できる人研究所
今日のような冬の夜、
毛布にくるまっていたりすると頭の中で
「さーむいー、夜汽車でー」なんていう
フレーズがリフレインされたりします。
演歌をあまり聴かない私は、
先の歌詞がわからず、
いつのまにか別な曲になっているのですが、
考えてみれば八代亜紀さんの曲でしたね。
「ザ・ベストテン」などで育った私には、
それくらい馴染みの方であったのでしょう。
73歳という若さで
昨年末に亡くなっていたとのこと。
非常に衝撃でしたが、お悔やみを申し上げます。
調べると八代さん、
15歳のときから歌っていたとのこと。
今でももちろん、
当時だってゆるされていなかったでしょう。
名前の由来となった熊本県の八代市の、
キャバレーで歌っていたらしい。
おかげで家からは勘当されることになったようですが、
あまりに「上手い」ということで、
デビューするきっかけとなった。
その頃からおそらくはハスキーな声で
歌っていたのでしょうね。
それからの活躍は、私たちが知っている通り。
私が子供のころは、歌番組の常連さんで、
ベストテンの1位になるたびに
「また演歌かよ」なんて、ガックリしていたものです。
でも、それだけ多くの人に支持され、
今では考えられないくらい
大人の方々にちゃんと歌われていた。
長距離トラックの運ちゃんなんて、
八代さんのカセットが必需品でしたよね。
そのほか女子刑務所への慰問を繰り返していたりと、
社会貢献もかなりされた方でした。
八代さんの死因、「間質性肺炎」というのは、
私の父親と同じ、
とても苦しい病気です。
最近亡くなる方の死因には、
がんに代わって増えているそうです。
その原因はハッキリわかっていないのですが、
八代さんの場合は、
「膠原病」から来るものだったらしい。
膠原病って、よく聞きますよね。
これ、どんな病気かといえば、
「体の抵抗力が人一倍強い人」が
患ってしまうものだそうです。
つまり、病原菌やストレスなど、
外部からの害悪に対して、
あまりに体が過剰反応してしまうらしい。
それが「抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎」という
難病につながったのですが、
歌う仕事をしていた八代さん、
それだけ様々なストレスと闘ってきたのでしょうね。
本当に安らかなご冥福をお祈りします。