賢者の言葉31 心があってこそ、才能は輝いてくる

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「技術の上手下手ではない。
その心が人を打つのだ」

こちら日本が生んだ偉大な指揮者。
小澤征爾さんの言葉。

長く病気を抱えながらのお仕事でしたかね。
2月6日に世を去ったそうです。
88歳。ご冥福をお祈りします。

なんせ日本人がボストン交響楽団であったり、
ウィーン・フィルなどで、
普通に指揮をとっていたという事実。

私たちは長く当たり前のように見てきました、
考えてみれば大谷選手が、
アメリカでホームラン王になったくらいの
大偉業かもしれない。

小澤さんはそうした偉業を
生涯ずっと続けていたわけです。
おそらくは世に2度と現れることのない、
指揮の世界での天才ということだったのでしょうね。

ただ、天才性ゆえか、
若い頃は一緒に仕事をする人々と
確執も多く起こします。

指揮者を始めたころも、
日本の楽団たちの考えが合わず、
単身、フランスに渡って音楽修行を始める。

その後、日本に戻り、
NHK交響楽団の指揮者になりますが、
楽団のメンバーたちと衝突し、
演奏のボイコット事件にまで発展します。
それで小澤さんは日本を離れ、
海外で演奏に関わっていくことを決意したんですね。

にしても、どうして日本では
コミュニケーションに失敗し続けた小澤さんが
海外で大楽団を指揮する人物になれたのか?

それは言葉で伝えようとするのでなく、
演奏をしながら音で理解を深めていくことに
徹したからだそうですね。

「言葉ができないと不自由ばかりですけれど、
一つよかったのは、海外で指揮するときに私は喋らないんです。
言葉が堪能だと、説明しすぎてしまうでしょ。
説明の多い指揮者はよくないんですよ」

「言葉があまり通じないからこそ」の方法
だったのでしょうが、
最初は反対していた楽団員も、演奏してみれば、
「なるほど、確かに彼に従った演奏をしたほうが
オーケストラの仕上がりがよくなるかも」と
理解する。

どんなにコミュニケーションがチグハグでも、
そこにいるのは皆、音楽を愛する人々ばかり。
だから心にうったえることができれば、
それぞれが最高の実力を発揮することを
小澤さんは確信していたんでしょうね。

前例のないことにどんどんチャレンジし、
世界の広い舞台に立ち、
不可能と言われらことを成し遂げた日本人がいた。
そのことを私たちは忘れていけませんね。

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