桜と日本人と武士道と

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桜がいよいよ満開ですね。

画像は私がとくに気に入っていて、
毎年のように紹介している桜。

実はとある近くの研究施設の、
裏口近くにあって、
本当はあんまり、勝手に入ってはいけないところ。

でも広い駐車場のある広場に、
小ぶりだけど自由に広がっていて、
真下から見ると本当に優雅なんですね。
この桜だけは残っていてほしいなと、
毎年のように思います。

そんな桜に今日、写真を撮ろうと近づくと、
急に動く影……。!?

当然のことでビックリしたのですが、
画像、わかるでしょうか?
女の子が枝に乗っかって本を読んでいたんですね。
妖精かと思った。
同時刻、おそらく彼女は、日本で一番
快適な読書を楽しいでいた人物だったのではないか(笑)

読書と、桜。
そう実は重要な文句があります。
それは次の言葉。

「武士道は、我が国の
『桜の花』と同じものです」

これが新渡戸稲造さん、
武士道』のオープンニングになっています。

桜の花と同じとはどういうことか?

それは枝に乗って、本を読む少女が象徴しています。
私たちにとって桜は身近ものであり、
いつでもそばにあるもの。

春になれば1日に桜なんか見なくたって、
窓のところに花びらが散っていたり。
桜の下なんて歩いていないのに、
衣服に桜がついていたりする。

秋だろうが冬だろうが、
私たちは桜の風景を想像できるし、
匂いだってすぐに思い出せるんです。

そういうふうに、
意識しなくても潜在下にいつも存在している
「日本人の考え方のベース」のようなものを
新渡戸稲造さんは「武士道」に求めたわけです。

そんな共通する思考ベースがなくなることは、
私たちの国から桜がなくなってしまうことと同じ。
だから新戸部さんは、
武士道の消失を恐れたわけです。
今は果たして、どんな時代になっているでしょうか?

いずれにしろ「正しいこと」が
なんとなく曖昧になっているのは、
最近の政治の世界を見ればよくわかります。

ところが「正しいこと」を学ぶはずの読書習慣は、
この日本から大きく消えつつある。
そんなかで「桜に木の枝の上で読書する少女」は、
あるいは日本にとって救いの存在なのかもしれない……。

今日は素敵な出会いがありましたね。

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