地図を作った男の、見習いたい人生

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4月19日は「地図の日」だったそうですが、
なぜ地図かといえば、
画像の場所にお墓がある方に関連しています。

正確には、お墓でなく、参り墓。
髪と爪のみを収めたそうですが、
ここは「日本3大厄除大師」にもなっている
古刹の有名なお寺。
千葉県の佐原市にある「観福寺」です。

この地で活躍して「地図」といえば、
江戸時代に全国を歩き、
正確な地図を作ったことで知られます。
伊能忠敬さん……ですね。

その忠敬さんが、全国への測量を開始したのが、
1800年の4月19日だとのこと。
(新暦では6月)
それで「地図の日」となっているんだそうですね。

この日本全国への測量を始めたのは、
伊能忠敬さん、56歳のときでした。
私の年齢と、さほど変わらない。

それから17年の歳月をかけて、
日本全国を歩いて地図を作成した。
つまり、人生後半のセカンドキャリアで
この困難な仕事に挑んだんですね。

「よく、その年齢から頑張ったな」と思うのですが、
若い頃はやりたくてもできなかったのが
忠敬さんの事情。

彼はこのお寺のある佐原の商人であり、
村の名主として、
地元の繁栄に尽くしていたんです。

千葉県の佐原というのは、
利根川の河岸のある場所で、
天領にもなっていた、舟の輸送の中継地です。

そこで商売を営み、彼は莫大な富を得るのですが、
なんせ洪水もものすごく頻繁に起こる場所。
そのたびに彼は私財を投げ打って、
村を復興させる……。

それで大富豪と貧乏の間を、
行ったり来たりするような状況だったんですね。
でも、晩年には貯蓄も増やし、
「自分がいなくても大丈夫!」という
安定した状態を整えた。

では、始めるか!……と。
50歳の頃に江戸を往復し、天文学や測量を学ぶ。
それから「日本にとって必要だ」と、
全国の測量を開始するんですね。

彼が最初に「測量すべき地」として
選んだのは蝦夷。
つまり、北海道でした。

当時はこの地を狙い、ロシア船が頻繁に
北方に出向いていた頃。
幕府も北海道の地理を把握することは、
絶対に必要と知っていたんですね。

とはいえ、当時の北海道は、
ほとんど未開の原野です。
「測量」というより「冒険」ですが、
忠敬はこれをやり遂げる。

この測量があまりに正確だったから、
次は伊豆をやってくれ、関東もやってくれ、
北陸も頼むよ、あとは関西だよね……と。
幕府の要請もあり、
地図の事業はどんどん拡大していったんですね。

何歳になっても、
私たち「できること」はたくさんある。
忠敬さんの偉業は、私たちにそのことを
教えてくれますね。

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