その日はじめて、日本は世界に独り立ちすることになった!

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6月19日というのは、旧暦ではあるものの
日本ではじめて
「元号」が制定された日なのだそうです。
(新暦では7月20日)

つまり、「令和」や「平成」の起源に当たるものが、
今日の日に誕生したとのこと。
1379年前のことになりますが、
その元号が何だかご存じでしょうか?

「大化」ですね。

そう、学校で「大化の改心」を習った人であれば、
虫殺し(645ろし)で覚えている年号。
当時、権力を一人で握っていた蘇我入鹿を、
中大兄皇子と中臣(藤原)鎌足で打ち破り、
大改革を成し遂げた事件として知られています。
画像は「大日本名将鑑」よりです。

ところが、この「大化の改新」という名称は、
しばらく封印され、
学校でも取り上げられない時期が続いていたとか。

それはつまり、結局はこの事件、
首謀者2人による単なるクーデターで、
政治的改革はあまりされなかったのではないか
ということ。

だから「大化の改新」と言わず、
「乙巳(いっし)の変」
という名称が使われ、
あまり日本史を変える重大事件とは
とらえられなくなったそうなんですね。

しかし、再び最近になって
この認識が変わってきているとのこと。

それは何より、
この「大化」という年号が重要なのではないか?
という考え方です。

日本が独自の元号を設置したのは、
中国や朝鮮半島の影響を退け、
天皇を中心とした中央集権体制を作ろうとする
政治改革の表れ。
そのために海外との関係の深い蘇我氏は
政権から排除する必要があありました。

それで新体制の中心となった孝徳天皇と、
兄であり、首謀者の中大兄皇子と中臣鎌足の動きを
まとめて「大化の改新」と呼んでいいのではないかと、
見直されてきているそうなんですね。

いずれにしろ、私たちは現在も面倒くさがりながら、
「元号」を日常的に使用しているわけです。

意識しなくても、なんとなく
昭和、平成、令和という響きに、
「その時代の日本の独自性」を見出している。

何気なく制定した孝徳天皇のアイデアは、
1300年以上経っても、
日本人の一体感をうながす、
重要なキーワードになっているわけです。
なかなかそれって、
すごい発想だったのではないか?

といって年号の「大化」自体は、
6年しか使われなかったようですが(笑)

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