いちばん最初にお札に描かれた人は?

毎週配信メルマガ「賢者の会」通信はこちら

3日は、新紙幣が発行された日でした……。
世の中は盛り上がっていたようですが、
我が手元にも渋沢栄一が……いるわけもない(笑)

まあ福澤諭吉さんのときもそうでした。
いつか自然に手元にやってくるだろう
……なんて思っていたら、
いつのまにか聖徳太子さんは
まったく姿を見なくなってしまいました。

まあ、今回もそうなるのでしょうが……。
それよりも気になってしまうのが、
ラーメン屋さんで新札を扱う券売機の値段。

あれが作家の仕事1冊でもらえるお金の
何倍の価値なんだろう……と考えると、
つくづく虚しくなってしまう。
世の中なんかおかしいよ……(苦笑)

それは別にして、
何度も何度も顔を変えてきた日本のお札。
では、最初に「顔」を描かれた人物は、
いったい誰だったかご存知でしょうか?

明治政府が成立してから、
すぐ全国通用の紙幣が発行されますが、
これは「太政官札」と呼ばれるもので、
肖像などはありません。

その後、これが何度か改訂され、
1885年にはじめて美しく印刷された
肖像入りの一円札、五円札、十円札が誕生。
このとき採用されたのが、神話的な人物である
「神功皇后」だったんですね。

さらに1882年に日本銀行が誕生されると、
「日本銀行兌換銀券」と呼ばれる紙幣が正式に誕生。
このとき描かれたのは歴史上の人物でなく、
神様の「大黒天」でした。

それから1888年にはまた新札が発行され、
菅原道真、武内宿禰、和気清麻呂、藤原鎌足という
貴族たちの紙幣が発行されています。

「神話上の人物や神様→貴族、皇族→政治家→文化人」
と推移してきたのが、
日本のお札で描かれる肖像なんですね。
経済人はこれから増えるのだろうか。

それにしても明治政府、これだけお金を発行して
混乱が起こらなかったのだろうか?
といえば、やっぱり起こったんです。

実際、江戸時代には藩がお金を発行していて、
それもまだ流通していた。
さらに戦争があるたび、
貧しい政府はお札を大量に刷った。

だから紙幣価値は不安定で、
たびたびインフレも起こってきたわけです。

歴史をさらに遡れば、
1661年に福井藩がお札を作っているし、
世界見れば、すでに古代エジプトの時代から
パピルスのお札があったと言われます。
最古で残っているのは、10世紀に始まる
中国の宋で作った紙幣ですね。
製紙術、印刷術の成果で発行が可能になりました。

でも、金や銀など、価値のあるものに代行する
手形となるのが「お札」なわけです。
その価値を保証する政府が正しく統制できていないと、
簡単に価値が下がってしまいます。

そうでなくても偽造されるリスクが常にある。
だから紙幣の発行は、1国を潰す可能性すらある
危険な国家政策でもあったわけです。

ですから私たち、
お金はちゃんと価値をわきまえて、正しく保管し、
使用しないとですね(笑)
キャッシュレスの時代だからこそ、そう思います!

画像は渋沢さんに比べ、地味ですよね。
北里柴三郎さんを祀っている神社です!

関連記事

ページ上部へ戻る