「世界の破壊者」は後世の人々に何を語ったのか?

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「私は世界を変えてしまった。
私は死神なのだ。世界の破壊者なのだ……」

こちらインドの古典『バガヴァッド・ギーダー』を
引用しての言葉。
第二次大戦下で原子爆弾を開発する
「マンハッタン計画」を主導した物理学者。
ロバート・オッペンハイマー博士の言葉になります。

8月6日は広島の原爆記念日。
そして今年はアメリカで、
このオッペンハイマー氏の映画がアカデミー賞をとった年
……にもかかわらず、
あまり話題に取り上げられることはありませんでした。

実際、賞をとりながら、原爆を落とした側にも、
落とされた側にも、
あまり共感を得なかったとされる映画。
(私はまだ見ていませんが)

ただ、「そんなふうに簡単に割り切れない」のが、
アメリカにおける原子爆弾の扱いなのでしょう。

日本はドイツのヒトラーと協力し、
「世界の敵」とみなされていた戦争です。
アメリカには命をかけて戦った兵士が大勢いる。
その中で原爆を作りあげて戦争を終わらせた
オッペンハイマー博士は、
「英雄」として祭り上げられました。

しかし、だからといって
戦争と無関係の人間を20万人以上も殺すことが
容認されるわけがない。

実際に自分で自分を許せなかったのがオッペンハイマー博士。
それでトルーマン大統領と対立し、公職から追放されますが、
60代に癌で亡くなるまで、
FBIの監視下での生活を余儀なくされたそうです。

「博士は原爆の開発に携わったことを
悔いたりなどはしていなかった」
そう言われますが、
今年の6月にNHKは、被爆者たちが終戦の19年後に
オッペンハイマー博士と面会し、
それに立ち会った通訳さんの証言を明らかにしています。

その際は、
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」と、
ひたすら謝っていたとのこと。

もちろん彼にとって原爆を作ることは
国家の使命であり、仕事として引き受けたことだから
単純ではない。
でも、罪を背負ったことを後悔し、恐怖に怯え、
人生を通じて苦しみ抜いたことも事実だったわけです。

もちろん、そんな痛みなど、
愛する人を大勢失った日本人の苦しみには匹敵しない。

でも、それをいえば日本人だって、
戦争で大勢の人を殺しているだろう……という話になる。

ようはどっちにも痛みがあり、
どこまでいってもマイナス面がプラスを追い越すことがないのが、
戦争の真実なのだということです。

それを理解するためには、一方の側ではなく、
両方の側からの痛みを
私たちは知る必要があるのでしょう。

いまだ続いている戦争を本気で終わらすためにも、
そうした両者の理解が重要なのかもしれませんね。

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