「仏道をならふといふは、自己をならふなり」
こちら鎌倉時代の僧侶で、
「曹洞宗」の開祖。
道元禅師の言葉ですね。
「永平寺」を拓いた有名なお坊さんです。
旧暦ですが、8月28日は、
その道元さんの命日だったそうです。
1253年のこと。
没後、771年になりますね。
道元さんといえば、その教えは難解ですが、
要するに
「ひたすら坐禅をする教え」を説いた方。
だから「世の中のため」というよりは、
「個々が修行をするための仏教」で、
永平寺なども、そういった
世を離れてひたすら
「お坊さんが勉強をする教場」
といったイメージがあります。
けれども一方で、この教えに
かのスティーブ・ジョブズが傾倒し、
簡略化された瞑想は、メンタルケアや、
アンガーマネジメントの手法として
世界各国のビジネスで取り入れられています。
案外と実用的なのが、
道元さんの教えでもあるんですね。
その発端は中国で修行していた時代の
有名な話があります。
あるとき師匠の下で座禅をしていた仲間のお坊さんが、
目の前で怒られました。
眠っていたんですね。
「心と肉体を切り離す修行が座禅なのに、
お前は眠ってしまって、どうしようというんだ!」
それで「喝!」となったのですが、
師匠の言葉を聞いて、
道元さんは「あれ?」と思ったんですね。
眠っているのと
「心と体が離れた状態=心身脱落」は、
どう違うんだろう?
眠っているとき、心は体とともに眠っている。
そうでなく、心と体が独立し、
あらゆる感情から解き放たれ、
「本当のありのままの自分」が、
「肉体として問題を抱えている自分」を
客観視できるような状態……。
あくまで夏川流の解釈ですが、
ようはそんな状態になって自分を見つめることこそ、
修行では重要だと考えたわけです。
その方法は、やはりひたすら坐禅をするしかない。
そこで「坐禅して修行する仏教=曹洞宗」の
骨格が出来上がった。
日本に戻り道元さんはひたすら、
修行の場づくりに奔走します。
ただ、坐禅ができなければ、それでもいいんです。
大切なのは深呼吸するだけでもいいから、
自分を感情と切り離し、
冷静な視点から見つめ直してみること
目を閉じて、呼吸に集中するだけで、
案外とそういう視点を持つことはできます。
結局のところ
770年前に道元さんが目指したのは、
多くの人に悩みから解放してもらって、
幸福感を得てもらうこと。
ストレスの多い現代社会に、その重要性は増しています。
だから現在も禅にはファンが多いのでしょうね。