とっても残念な「世界一周大冒険」の真実

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画像は再建されたスペインの帆船「ビクトリア号」ですが、
この船で世界一周を成し遂げたのは、
フェルディナンド・マゼランの艦隊。

9月6日というのは、このマゼラン艦隊が
スペインに凱旋帰国した日なのだそうです。
2日後に出発地だったセビリアに到着して、
世界1周が成し遂げられました。
今からおよそ500年前。1522年のことですね。

コロンブスのアメリカ大陸に続き、
世界史の授業で習うマゼランの世界一周。
ただ、間違っていけないのは、
マゼランはこれを成し遂げていません。

途中のフィリピンで殺されているんですね。
凱旋帰国したとき、
すでに船長は世を去っていたわけです。
結局のところ、
彼は「世界一、無駄な寄り道」で
目標を達成することができなかったわけです。

一体マゼランの航海は、どんなものだったのか。

出発したのは1519年のセビリア。
その後のルートは、以下のようになります。

・大西洋のカナリア諸島から
ブラジル、リオ・デ・ジャネリオへ
・それからアルゼンチンのラプラタ川を南下し、
南米大陸の先の
「マゼラン海峡」を発見
・大西洋から太平洋へのルートを開拓し、
グアム島へ
・さらに西へ進み、ヨーロッパ人としてはじめて
フィリピンに到達

ここまでは前代未聞の大偉業……だったのですが、
マゼランはここでフィリピン諸島の島々を
キリスト教に改宗させ、
自分の支配下に置こうとしたんですね。

なぜ航海を中断してそんなことを考えたのか、
まあ、欲に目がくらんだのでしょうかね……。

結局、マゼランの行動は地元民の反感を買い、
抗争になって、彼は殺されてしまいます。
部下たちはとっととこの島から逃げました。

その後、部下は東ルートと西ルートに分かれ、
故郷のスペインを目指します。

そのうち西ルートを目指した一行のみが、
インド洋からアフリカの希望峰を周り、
スペインに戻ることができたのです。

出発したときは5隻237人。
帰ってきたヴィクトリア号1隻に
乗っていたのは18人。

たくさんの「世界初」を成し遂げた
マゼラン艦隊ですが、
冒険の本質を見失しなってしまうと、
せっかくの苦労は水の泡になってしまう
……という教訓になってしまいました。

人生、寄り道には注意しましょう!(苦笑)

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