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民衆が育てた「江戸の歌舞伎」の歩み
- 2024/10/24
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画像は東京メトロ「京橋」駅のそば、
「江戸歌舞伎発祥の地」という
石碑が立っています。
江戸時代の初期になる1624年、
猿若勘三郎こと、初代・中村勘三郎が、
この地に「猿若座」を設置。
すぐに「中村座」と改称されますが、
ここから江戸の歌舞伎が始まったということですね。
歌舞伎の歴史というのは、それほど古いものではなく、
17世紀の初めに、出雲阿国が京都で始めた踊りから。
当初は「能」の延長だったんですね。
この歌舞伎の演者となり、
「猿若」という舞踊を創り上げたのが、
尾張出身の中村勘三郎さんでした。
彼らは歌舞伎の中心であった大阪や京でなく、
幕府が誕生してから、
まだ建設途上にあった江戸の町に出て、
ここで一旗あげようと
「猿若」の興行を始めたんですね。
当初はそれこそ大道芸だったのでしょうが、
この新しい演芸は、
江戸の新しい町人たちに大絶賛されます。
たちまち大評判になり、
将軍家からも「ぜひお城で披露してくれよ」なんて
依頼がくるほど。
結果、京橋に初めての芝居小屋を
建設する許可を得たんですね。
たとえるなら、ストリートミュージシャンが
いきなり大評判になって、
ライブハウスやレコード会社を
作ってもらったようなものか。
その後、芝居小屋は日本橋に移転し、
歌舞伎は江戸の町人文化を代表する興行にまで
定着していくんですね。
特に中村座、市村座、森田座は「江戸三座」と呼ばれ、
大正時代になるまで、
日本の演劇界をリードしていきます。
ただ、いつも順風満帆だったかといえば、
そうではありません。
まず江戸の火災があります。
火事と喧嘩は……ではありませんが、
江戸では何度か町の大半が焼ける火事があり、
そのたびに芝居小屋も消失します。
中村座もたびたび、
移転と再建を繰り返すことになりました。
さらに幕府の規制もあります。
「忠臣蔵」などが象徴ですが、
歌舞伎は江戸町人が大好きな「体制批判」を
芝居に取り入れ、
役柄や時代設定を変えながらも、
幕府の悪政を揶揄し、
民衆の不満の受け口になっていたわけです。
寛容な政権はそれを黙認しますが、
規制をかけた時代ももちろんあった。
でも、そのたびに江戸の町人は歌舞伎文化を支え、
彼らの興行を称え、
伝統を守り続けてきたんですね。
そんな庶民パワーは、
これからも引き継いでいきたいものです。