江戸から現代まで、東京を支えた仕事人たち!?

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画像は今日、目黒に行った折に訪ねた
「大鳥神社」ですが、
なんだかすごいことになっています。
建設ラッシュか……

なるほどもうすぐ11月。
「酉の市」のシーズンですね。
熊手を売る出店を急遽、建てているわけです。

今まで準備期間に来ることはありませんでした。
結構、ハードな作業が行なわれていたんですね。

それで思い出したのですが、
江戸といえば、たくさんの職人さんが、
地方から集まってきていた都市。

その職人さんの中でも、もっとも稼ぎがよく、
人気のあった業種というのは、
なんだか知っているでしょうか?

じつは「大工」さんなんですね。
皆が憧れた仕事で、
しかもチームリーダーは「棟梁」として、
江戸では最も成功した職人として
尊敬を集めていました。

でも、なぜ大工がそんなに人気職で、
しかも儲かる仕事だったのだろう?

まず需要が多かったことがあります。
なんせ火事の多かった江戸の街ですから、
しょっちゅう建築の需要はあります。
その中には当然、大名家や寺社のような
江戸セレブからの注文もありました。

これに加え、水道や道路、橋の建設や埋め立てなど、
公共事業も結構あったんです。
町のいたるところで下水工事があるのは、
現代と変わりなかったんですね。

それでパソコンもないし、
職業分化も進んでいない時代です。

その中で「棟梁をやる」ということは、
図面を引き、デザインを含めた設計をし、
いろんな商人から材料を調達して
集める必要がありました。

むろん、そこからはハードな作業で組み立てを行ない、
しかも瓦に、屋根に、庭の植木に……と、
別な専門職の人々も使いこなす必要がある。

つまり数学の知識と、物理の知識と、
デザイナーとしての創造性と、材料への熟知と、
交渉人としての能力と、優れたリーダーシップに加え、
抜群の体力も必要になる……という、
ものすごく多種多様な能力が
必要になる仕事だったわけです。
そりゃあ尊敬される仕事になりますよね。

だから日本には古くからある建設会社が
多いのでしょうが、
こういう小屋のような木造建築は
原点だったのではないか?

若い人が結構、働いていたのですが、
案外とその中から、
将来の成功者も出てくるのかもしれません。

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