いかにして「ツタンカーメン」は発見されたのか?

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今から102年前のことです。
エジプト、ルクソールの「王家の谷」で
発掘調査をしていた一団には、
諦めムードが漂っていました。

なんせ19歳くらいで亡くなっている少年王。
その墓は未発見ですが、
「存在しない」とも言われていた。

しかし考古学者、ハワード・カーターは、
長い調査の末、「ここに墓があるはずだ」と、
確信を得ていました。
実際、遺物も見つかっています。

ところが5年の調査を経過しても、
墓は何も見つからない。
「もう無理なのでは?」と誰もが思っていたとか。

そんな中、11月4日に、作業員の1人が気づきます。
ここにある石って、誰かが削ったものではないか?

掘り返した結果、
それが階段の1段目であることを確認。
そうこれが未発掘だったエジプトのファラオの王墓、
ツタンカーメン王の墓の発見につながったんですね。

中には有名なマスクに代表される
5400点もの素晴らしい副葬品が
収められていました。

なんせ5000年の歴史の中で、
長く盗掘者のターゲットになってきた
エジプトの王墓です。
そんな中で、
「埋葬品がほとんど残されている」というケースは、
ほとんど初めてだったわけです。

この1つの発見だけで、
博物館の収蔵品が埋まってしまうくらい。
今でもカイロ博物館のメーン展示になっています。

発見者のハワード・カーターさんは、
決して考古学者として、
王道のルートを歩んだわけではありません。

早くから考古学の創生者とも言われる
フリンダース・ピートリ卿の元に弟子入りし、
17歳のときに助手として
発掘現場に連れてかれました。

エジプト学者というより、発掘技術のプロとして
そのキャリアを磨いたんですね。

それでもこのエジプトで、観光客と喧嘩して、
発掘現場をクビになってしまいます。
それでもエジプトに残り、
観光客に自分で描いた絵を売って生計を立て、
お金持ちに根気強く「未発見の王墓」の可能性を説き、
最終的はカーナヴォン卿という
有力な投資者を得ることに成功したわけです。

諦めず、粘り強く夢を追い続けた結果、
大発見は実現しました!

なお、よく言われる
「ツタンカーメンの呪い」ですが、
何より実行者であったカーターさんその人が、
発見した48歳時からずっと学者としての仕事を続け、
60代まで生き続けています。

学術的にはあまり認められなかったとはいえ、
呪いの何倍もの幸運に恵まれた人生だったことは
確かでしょうね。

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