限りなく夢を追いかけた男の人生

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11月17日は、
「スエズ運河」が誕生した日だったそうです。
1869年という、
今から150年以上も前のこと。
画像は建設当時の光景ですね。

なんせスエズ運河というのは、
今は海賊も出没する立地的に危険な場所になっている
とはいえ、
地中海からインド洋へ一気に抜ける短縮ルートです。

ここを通らないと、
船はアフリカをぐるっと回って、
アジアへ出なければならなくなる。
だから完成によって、世界の距離は
一気に縮まることになったんですね。

この運河を「作れたらすごいぞ」と
動き始めたのは、
フランスのカイロ領事だった、
フェルディナンド・レセップスさんという方です。

彼はエジプト総督の家庭教師も務め、
当時のフランスの支配者であった
ナポレオン3世の親戚だったと言いますが、
両国を必死になって説き伏せ、
この壮大なプロジェクトを実現する許可を
取り付けたわけですね。

ところが砂漠を160キロ以上掘削して、
地中海と航海を結ぶ、とんでもない工事です。

作業には10年という期間を要しましたし、
過酷な労働や伝染病、
それに事故などで、
大勢の犠牲者を出すことになります。

おまけに、当時のエジプトは
オスマン・トルコ帝国の支配下にあり、
またフランスはイギリスと
エジプトの支配を取り合っていた関係です。

よって、他国からの干渉も、たびたび入って
建設を困難にしたんですね。

それでも粘り強い交渉を重ね、
完成させたスエズ運河。
レセップスさんは、
国際スエズ運河株式会社を設立させ、
大成功者として巨大な富を得ます。

ただ、その後、エジプトの没落もあり、
運河の所有は
イギリスに引き渡されることになったんですね。
(現在はエジプトの所有物です)

それでもレセップスさんは諦めず、
晩年にはパナマ運河の建設に乗り出します。

ところがこの建設が途中で頓挫し、
巨額な損失を出して会社も倒産。
レセップスさんは心を病み、
亡くなってしまうのですが、すでに89歳。

最後の最後まで夢を貫いてきた、
激しい人生でありました。

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