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「暦」を制す者が「国」を制す
- 2024/12/3
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12月2日は、
「カレンダーの日」だったそうです。
1872年の12月2日、
明治政府はこれまでの太陰暦から、
太陽暦を採用しました。
よって翌日の12月3日が、
明治6年の1月1日になったわけです。
これによって、
これまでの歴史的な事項があった日が、
旧暦と新暦のバラバラになってしまう
非常にややこしいことが起こったのですが、
改革の結果、
世界の日付と日本の日付は、今や普通になりました。
中国のように、旧暦を祝う習慣は、
もうありませんよね。
この「明治改暦」という、
明治政府が成し遂げた大きな改革。
実は政府にとっては、
やらねばならない大事情がありました。
考えてみてください。
12月2日が、唐突に、1月1日になったんです。
12月はほとんどなくなるし、
実はその年は閏月で、13月もあったといいます。
財政難でお金がなかった明治政府、
その当時は公務員の給料も出せない状況でした。
そう、それで強引に太陽暦を採用することで、
支払いを延期するとともに、
支出を抑えようと考えたんですね。
結局のところ、1月の給料は払うので、
あまり効果はなかったようですが、
こんなふうに「暦」というのは、
為政者の都合で結構、勝手気ままに
変更されてしまうのが歴史の流れです。
西洋で最初に太陽暦を採用したのは
カエサルですが、
このときは自分の名前の月を
7月(ジュライ)に入れています。
さらにこの暦を改定したアウグストゥスは、
8月に自分の名の月を挿入しました(オーガスト)。
で、現在は「10番目の月」という意味の
「ディセンバー」が「12月」になる
おかしな現象になっているのですが、
それが当たり前になるのが暦の凄さ。
結局、暦をコントロールすることで、
世界のリーダーは、自分たちの国の
常識を自由に操作してきたんですね。
画像は古代の中国で、
星の動きを読むために使用された
「渾天儀」という道具。
(寒川神社)
正確な暦の作成を政府が重んじたのには、
やはり理由があったわけです。