成功も失敗も、他人が決めること

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「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花
主なしとて 春な忘れそ」

こちらは、学問の神様、菅原道真の
有名な歌。
旧暦になりますが、901年の1月25日。
福岡の太宰府に左遷する前、読んだ歌ですね。

新暦であれば2月の後半ですが、
それでもそろそろ梅が咲き出す頃。

京で梅が咲いたら、東風を吹かせて、
匂いをおくってほしい。
私はいなくなるが、春は忘れないでおくれ……。
そんな、少しせつない心を歌っています。

それで1月25日は
「左遷の日」になっているそうです。

この左遷の結果、菅原道真は
「天神様」となり、「学問の神様」となった。
というのも、左遷の2年後に、道真は病死。

もともと糖尿病だったともいわれますが、
太宰府での境遇が、決して豊かでなく、
苦労がたたったという話もあります。

宇多天皇に寵愛され、
接大な権力をもった道真ですが、
それが他の貴族たちからの反感も起こします。

天皇が変わったのち、
対立する貴族の陰謀にはかられ、
彼は九州に左遷されることになったわけです。

そんな道真が死去すると、
今日では天災が起こったり、伝染病が流行ったりと、
大変な事態が起こり続けます。
陰謀の中心にいた藤原時平のほか、
皇族や貴族にもバタバタと死者が出ていく……。

これは菅原道真の怨霊のせいではないか?
ということで、彼は北野天満宮に祀られ、
やがて「天神様」という神様に
定着することになったわけです。

ある意味、平安時代の貴族では、
現代において1、2を争うくらいの著名人で、
親しまれている人といえるかもしれない。

これが「祟り」のおかげなのは皮肉ですが、
本当に道真が
それほどの恨みを抱えていたのかといえば、
事実はわかりません。

恨んだかもしれないし、
失意のどん底も経験したかもしれない。
でも、復権を望みながら、
太宰府でできる限りのことはしていたらしい。

まあ、むしろ「恨んでいるだろうな」という
人々の罪悪感や不安感が天才や疫病に結びつき、
社会的な混乱を引き起こしたのでしょうね。

現代は平安時代以上に、ネットを通じて他人のことを
あーだこーだ言えるようになっているわけですが、
あんまりそれに関わっても
ネガティブな感情が連鎖するだけ。

ありのままの事実をとらえていくことが、
私たちには必要ですね。

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