福沢諭吉と「眺めのいい墓」

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2月3日は、福沢諭吉さんの
忌日だったとのこと。

今から124年前の1901年。
66歳で、脳出血による死。
特別な辞世の句はないようですが、
人生は楽しかったと語っていたそうです。

画像は、福沢諭吉のお墓がある、
港区は麻布十番にある善福寺。

桜の季節でしたが、
アメリカの公使館があったことでも有名な場所。
お墓は意外と地味で、
境内では、越路吹雪さんのお墓のほうが
目立っています。

じつは、ここに福沢諭吉さんの墓ができたのは、
死後、76年経ってから。
それまで諭吉さんは、
「ミイラになっていた」というのを
知っていたでしょうか?

ミイラといっても、死蝋と呼ばれる状態で、
たまたまのこと。
自然にできた状態で、
意図的に遺体を保存させたわけではありません。

さすが古くからの慣習にとらわれなかった
福沢諭吉さん。
「死んだあとは、眺めのよい場所に
墓をつくってもらいたい」とのことで、
葬儀をした善福寺と関係のない
別なお寺にお墓を設けていたそうです。

ところが宗派の関係で、
70年以上経ってから、
お墓を改葬することになります。

そして掘り起こすと、
地下4メートルの深さに埋葬されていた遺体は、
腐らずに、永久保存の
ミイラ状態になっていたとのことです。

朽ちずにずっと、日本の未来を
見守り続けていたのかもしれませんね。
もっとも大気にふれた途端、
遺体は風化してしまったという話もありますが。

生前から、葬儀は地味に地味にやってほしいと
要望していた諭吉さん。
結局、意図に反して大行列のできる
葬儀になったのですが、
献花を受け取ったのは1人だけ。

盟友の大隈重信だったそうです。
早稲田と慶應の不思議な関係をしのばせますね。

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