103年ぶりに王墓が見つかったファラオと「平和の女王」

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画像は、エジプト、ルクソールの
「ディル・エル・バハリ」にある
「ハトシェプスト女王の葬祭殿」
と呼ばれる遺跡。

断崖を利用して作られた、
階段型でスケールの大きい美しい神殿ですね。

私にとって懐かしい場所……というのは、
かつてルクソールにいたとき、
何度か後ろの山に登って上からこの美しい神殿を
見下ろしました。

けれどもここでテロがあった関係で、
しばらく後ろの山には登れなくなりました。
現在はどうなのだろうか……。

ここを紹介したのは、
エジプトの「王家の墓」でなんと、
ツタンカーメン王から103年ぶりに
新しい王(ファラオ)の墓が見つかったのこと。

それが紀元前15世紀か16世紀に即位した
「トトメス2世」という王で、
その奥さんがこの神殿を築いた女王
ハトシェプストだったんですね。

クレオパトラがいたエジプトでも、
じつは「女王」というのは、珍しい存在です。
彼女も公式行事のときは、つけ髭をつけて、
男性のように振る舞って儀礼をしたとされます。

彼女が女王になったのは、
トトメス2世が治世14年くらいで
死んでしまったから。
息子はまだ幼少で、その間に共同で
自分が王の役割をしたわけです。

エジプトならではですが、
妻でありながら、ハトシェプストさんは、
夫トトメス2世のお姉さん。
小さい頃から弟を守り、
自分が王のようにふるまっていたとか。
野心も高かったとされます。

ただ、戦争も多かったエジプト18王朝の時代、
彼女は知性の間に、
近隣諸国との平和外交を次々と実現させています。

女性として生まれ、戦争を繰り返す先代たちに
辟易していたのかもしれませんね。
巨大なこの神殿は、その象徴だったのでしょう。

やがて王は息子のトトメス3世が継ぎますが、
この王は「平和の女王」と打って変わって、
「エジプトのナポレオン」と呼ばれたほど
戦争と領土拡大に明け暮れた人。

ただ、母親の存在も歴史から抹消しようとした
……と言われますが、
その辺は定かではありません。

けれども敵対する国とも仲良くしようとした女王と、
その夫の功績は、
エジプトの歴史の中で軽んじられてきたらしい。
それだけに今回の発見が、
貴重な時代を解き明かす鍵になるといいですね。

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