「もう駄目だ……」と思ってからが、本当の勝負!

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「これでもか、これでもかと頑張って。
一歩踏み込んで、それでも粘って、
もう一頑張りして。
もう駄目だと思っても、ズカッと踏み込んで。
そうしていると突き抜けるんだ!」

頑張り続けても、うまくいかない……。
そんなときは、この言葉が効きます!

本当に挫折したときこそ、いちばん力が発揮されるとき。
余力があるのならば、
人は「まだまだ」なんですね。

こちらは日本が生んだ巨匠、
映画監督の黒澤明さんの言葉。

3月23日はその誕生日だそうで、
今年で生誕115年になります。
お亡くなりになったのは1998年でした。

戦前の1930年代に
映画監督助手として仕事をするようになった
黒澤明さん。

兵役を逃れたのは、
徴兵官と馴染みだったこともありますが、
もともと共産主義者のグループで、
ポスターなどを描く画家を目指していたそうです。
反乱分子のレッテルを貼られていたんですね。

それで戦時中から終戦後と、
映画づくりに努めますが、
時代も時代なら、シチュエーションもシチェーションです。
「自分の撮りたい映画」などが
つくれるわけもありません。

やがて戦後復興の時代となり、
そこそこヒット作には恵まれるようになるものの
40代を超えるまでは、
なかなか自分でも納得しない。
「つきぬけない時期」が続いていたんですね。

それで黒澤明さんは、開き直ってしまいます。

つくりたい映画がないなら、
自分で脚本を書いてしまえばいい……!

『羅生門』や『白痴』。
それに『七人の侍』や『隠し砦の三悪人』など、
黒澤明作品のベースには「古典」がありますが、
シェイクスピアやドストエフスキーや芥川龍之介に……と、
普遍的な価値観を描く作品を土台にして
そこにサムライや歴史的人物が登場する
日本の時代劇を当てはめたんですね。

自分で脚本するが、必ず他の共作者をお願いし、
作品が凝り固まらないようにする。
映画化会社から独立し、自分でプロダクションを立ち上げることで
制約も受けないようにする。

冒険ではありましたが、
結果、世界からも評価され、
多くの監督から模倣される映画を
量産することになりました。

いつまでも日本人が誇りにし、
見本とすべき師匠ですよね。

画像は三船敏郎さんとともにです!

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