なぜ「ひな祭り」は女の子の祭りになったのか?
- 2025/3/3
- できる人研究所

3月3日は、桃の節句。
「ひな祭り」の日ですね。
妹がいたときは、
家にも「ひな人形」があったと思いますが、
今の家にもう人形はない。
代わりにこちら、
広尾の弁財天さんにあった、小さな「女神像」ですね。
右側にもありますが、
お賽銭も捧げられています。
そもそもは人形で厄落としをしたという、
「大祓い」の原型だった
ひな人形の発端。
日本では人形が「女の子の玩具」として
定着していたこともあり、
幸せな婚礼を願う女の子のお祭りとして、
取り込まれました。
そうすると、皇族や位の高い貴族に
娘を嫁がせることが成功の秘訣だった
平安時代を彷彿させます。
ところがそうでなく、
「ひな祭り」が定着したのは
江戸時代になってからのこと。
そもそも女性ができる仕事が少なかった
江戸の時代。
どんなに気立よく女の子が育っても、
嫁ぐ先によって、人生が決まってしまう。
どうしても運任せのようになる……ということで、
願いをかけるために「ひなまつり」の風習は、
発展していったようですね。
実際、ほとんどの縁談が紹介で決まっていた
江戸の女性たちは、
少しでも評判を高めるため、
音楽や和歌、華道や書道など、
習い事に熱心だったとされます。
今日、蔦重の「大河ドラマ」でやっていましたが、
売られた女郎がその身を自由にするにも、
ほとんど身請けされるか、死ぬしかなかった。
経費も年々にかさむから、
子供の頃から抱えた借金を返すのは
ほとんど不可能だったんですね。
そんな女の子の夢と、
大人の罪悪感や幸せを願う気持ちが重なって
発展してきたひな祭りの伝統。
でも現在は、
あまり将来の夢に「お嫁さん」という女の子も
少なくなっているのではないか……。
むしろ男の子に元気を与えるような
「お祭りごと」が必要かもしれませんね。