TPOと服装に託す思い
- 2025/3/4
- できる人研究所

画像は『武士道』の解説でも紹介しました。
1582年に九州の戦国大名たちが派遣した
天正遣欧少年使節団。
当時のローマ法王や各国の王などの超セレブへ、
若い武士たちが派遣され、謁見したのですが、
そんな時代でも、武士たちは武士の服装のまま。
絵ではマントを法王から送られたようですが、
基本、はるか中世の頃から、
文化の違う相手に対して、偉い人々でも
「自分たちの慣習を押し付けることはしない」
というのが、基本ルールであったわけです。
法皇だろうが、国王だろうが、
ちゃんと、その辺はわきまえていたわけですね。
まあ、言うまでもなく、
どこぞの大国の大統領と、
3年間お隣の国に攻撃され続けている
非常事態下の国の大統領の交渉が、
ケンカ別れにおわったのですが、
いちゃもん理由には、
「スーツを着てこなかったこと」も
物議になっていました。
ただ、半ば強制的に戦争状態になり、
多くの人が着の身着のままで避難を余儀なくされた国です。
大統領として軍を率いる立場になったけれど、
自分は決してプロの軍人だったわけではない。
だから「普通の軍人が着ている平服」を
「戦下の国を代表する人物として
戦争が終わるまで公式に着つづける」と決め、
それを3年も続けてきたわけです。
さまざま言い分はあり、
「ああすべきだ、こうすべきだ」はあっても
その状況は理解しようよ……と言いたくはなりますわな。
個人的にそう思うのは、
かつて私も「服装に厳しい会社」で
勤めたことがあります。
転職する前、私はラフでゆるされた会社にいたので、
自分のスタイルを貫きたいのが1つと、
スーツを買うのが面倒臭いのが1つで、
ジャケットにスラックスを合わせ、
ネクタイをするスタイルで通してしまったんです。
シャツも白でなく、最初から色のついたものや
柄のあるものでした。
それをさんざん、
当時の社長にはぐちゃぐちゃ言われたものだから、
若かった自分と照らし合わせ、
ゼレンスキーさんの苦境を見て、
過去をトラウマのように思い出してしまった(苦笑)
あのときも味方はいなかったなぁ……。
それでも不安の多い、これからの世界です。
ただ、安全保障もない。攻撃も止まっていない。
いま戦争が中断しても
4年後にどうなるかわかりませんから、
決裂は必然だったのかもしれない……。
これからも情報を精査しながら、
平和がいち早く訪れることを
期待したいですね。