パリに展示された「江戸パブリオン」の秘密

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大阪での万博、
それなりに盛り上がってはいるようですね……。

行く機会が持てないので、
私は何も書くことができないのですが(苦笑)、
さまざまなトラブルは起こっているらしい。

それでも開催した以上は、
成功することを願っております。

で、以前はロンドンで行われた
最初の万博を紹介しました。
それが1851年のことです。

じつは日本は早くも1867年から、
国際万博に参加しています。
パリで行なわれた万博ですが、
明治になる前。
つまり、江戸時代のことです。

「参加した」ということは、
ちゃんと「パビリオン」を建てたということ。
それが画像ですが、
じつは中国の清国との共同で、
日本からは江戸幕府と、薩摩藩と、佐賀藩が
それぞれ別個に参加しています。

幕府にはフランスの当時のトップだった
ナポレオン3世から正式の要請があった
……とのことですが、
なんせライバルの薩摩藩や改革派の佐賀が
参加しているわけです。

日本を代表する政権として
世界にアピールする必要があるし、
薩長と争っている最中に
フランスからの協力も確保したい。

それで将軍慶喜は、
自分の弟である15歳の徳川昭武と、
その補佐に、1万円札の渋沢栄一も
同行させたわけです。

単なる万博ではなく、
世界に名を売ろうと気合いが入っていたんですね。

薩摩や佐賀が焼き物などの名産品を出店したのに対し、
幕府が展示したのは、浮世絵や銀などの工芸品。
こちらは絶賛されたのですが、
それ以上に好評だったのは、
柳橋の花街から連れていった
芸者3人によるパフォーマンスだったとか……。

よくも悪くも「日本=ゲイシャ」のイメージは、
最初に江戸幕府がつくっていたのですね(笑)

とりあえずは成功だった幕府のフランス出店でしたが、
翌年には明治維新。
それからは明治政府としての参加になります

知らない国の文化が知れる……というのは、
万博の大きな魅力ですが、
そういう目で今も見られているのだろうか?

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