こちら頂き物ですが、
深谷の「ねぎ味噌せんべい」です。
いくつか種類もあったと思いますが、
有名な深谷ネギを使ったお煎餅。
私はあまりネギが好きではないのですが、
それでもこのお煎餅は、ノンストップ状態で
バリバリ食べ続けてしまいます。
ヤバいですよね。この美味しさ……。
☆
ともかく深谷です。
今日はくしくもNHKの
「プラタモリ」でも紹介されていました。
いわずもがな、大河ドラマの主人公、
渋沢栄一さんの生まれ故郷です。
その渋沢さんは、深谷をとっかかりに
大事業家への道を歩き始めています。
番組ではネギを育てるのに適した粘土質の土壌。
その土壌を利用して、藍の生産で成功した
渋沢家のスタート。
それから粘土を利用した、
レンガの生産などが紹介されていました。
☆
でも、深谷ネギって
どのように生まれたのだろう?
☆
渋沢栄一さんの実績ではありませんから、
その辺りは述べられていませんでしたね。
じつは深谷でのネギ栽培が始まったのは、
明治30年頃からだそうです。
そんなに古い歴史をもっているわけではありません。
そのころ栄一さんは
すでに東京で銀行家として成功していました。
そんな折にネギ栽培が始まる。
理由は先の「藍」が関係しています。
近代産業の始まりによって需要が低下し、
こちらの相場が下落してしまうんですね。
ネギはその代替品として導入されます。
☆
これを一大ブランドに育て上げたのが、
やはり渋沢さんの功績……。
「栄一」ではありません。
なんとその甥の「渋沢治太郎さん」という方。
ちゃんと農家を継いだ優秀な人物がいたんですね。
すでに時代は大正になっていましたが、
治太郎さんは全国でネギが不作だった時期に、
ここぞとばかりに
「深谷のネギ」の名で全国にマーケティング展開。
そこからどんどんネギのシェアを広げ、
さらに二次大戦前の恐慌期になると、
養蚕農家を次々とネギ生産へ切り替えることで
不足する食糧需要に応えたんですね。
☆
こんなふうにピンチをチャンスに変えることで
定着していった「深谷ネギ」というブランド。
これもさすが、渋沢家の見事な
ビジネス戦略と言えそうです。
[効率無視の仕事術]