【歴史入門】1905年、オデーサの港で起こったこと

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ロシアのウクライナ侵攻が続いていますが、
じつは両国の歴史で
映画にもなった有名な話でありながら、
あまり紹介されていない出来事があります。

それは「戦艦ポチョムキンの叛乱」と呼ばれる出来事。
帝政時代のロシアに
ウクライナが組み込まれていた1905年、
オデーサ(オデッサ)の港に停泊していた
ロシア戦艦「ポチョムキン」の中で事件は起こりました。

これがどんな事件かといえば、
水兵の食事に出されたボルシチの肉が腐っていて
ウジがわいていたというんです。
それを上司に抗議したら、文句言わずに食えと言う。

「いや、無理でしょう……」と手をつけずにいたら、
銃を向けられて、
「命令違反で死にたくなったら食え!」と脅された。

そんな理不尽な上司に対して、
部下たちは一致団結して蜂起。
ちょうどロシア本国では
革命の波も始まっていましたから、
これに同調してロシアに反旗を翻したわけです。

一時はオデーサのウクライナ人の支持も得た
ポチョムキンの反乱軍ですが、
ロシア帝国軍はこれを武力で鎮圧しようとします。

結局、彼らはルーマニアに逃げて亡命しますが、
やがて首謀者の多くは捉えられ、処刑されました。
ただ軍の大規模な反乱によって
同時期に行なわれていた日露戦争の継続ができなくなり、
ロシア帝政の崩壊が始まっていくわけです。

この事件をロシアの有名な映画監督、
エイゼンシュテインさんが1925年に映画にして、
世界的な評価を集めます。

ただ、残念ながらこの映画は、
「いかに王政が悪いか」を宣伝する
ソ連のプロパガンダに利用されてしまいます。

オデーサにある大きな階段での
虐殺シーンがよく取り上げられますが、
実際にそこまでの市民虐殺はなかったらしい。
まあ、ロシアはこの頃から、
現在と同じようなプロパガンダをやっていたわけですね。

そんな経緯もあり、ポチョムキンの事件は、
あまり西側諸国で伝えられません。
ただ、実際をみれば、
国のルールを飛び越えて理不尽な上司に物申し、
それを民族の違う国も賛同して、
一緒に正義を貫こうとした歴史的事実なわけです。

ジャーナリストや作家やアスリート、
あるいは兵士からの反発者など、
今のロシアでもやはり
勇気をもって体制に物申す方が出てきています。
そういう気概が世界に伝わり、
いち早く戦争が終結することを期待しましょう。

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