一生楽しむ文章術6 2つの古典、2つの本の書き方

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ウェッジさんから出している2つの古典。
『マキャベリの「君主論」』と
『超約版・貞観政要』を並べてみましたが、
久々に今日は文章術の話。
ちょっと復習になります。

これまで「演繹法」による文章術と
「経験法」による文章術を紹介してきました。

この2つの古典は、
それぞれの方法論の結果、
生まれたものの違いを象徴しています。

『君主論』は、そのうちの演繹法によるもの。

マキャベリは当時の支配者であった
メディチ家に「理想的な君主のあり方」を示すため、
必要な要素を体系づけ、
自身の論理やノウハウを構築し、
この大著を書き上げたわけです。

一方で『貞観政要』は、皇帝の太宗が
自身の仕事内容を検証するため、
部下とのやりとりを記録させたことがきっかけ。

今でいえば「今日の皇帝」というブログを
部下にずっと更新させていたようなものですね。
だからのちの時代の呉兢さんが編集するまでは、
膨大な記録の寄せ集めでしかなかったわけです。

とはいえ、編集したものもかなり膨大ですから、
私はかなり厳選して、今回の本をまとめました。

普通、本を書く人は、多く「君主論形式」で本を考えます。

自分のハウツーを体系化し、そこから構成をつくり、
他人に伝えるための文章を書き上げていく。

その方法はまた紹介しますが、
私はこれまで、そんなセミナーをやってきました。
結果、本を出した方も多いのですが、
やはり難しいことも事実。

何より1冊を書くことにエネルギーを使い切りますから、
次の本を出せる人は
かなり少なくなってもしまうのです。

ところが「貞観政要形式」は
そもそも「本を出すこと」が目的ではありません。
自分の記録を残していくだけ。
だから「書きたいことを書くだけ」でも
成り立っていきます。

そんなのが後に本になるのかといえば、
ならないわけではありません。

「楽しい話」とか、「学びになる話」ばかりを
集めてエッセイのようにする方法もあるし、
「子供とのやりとり」とか
「上司との付き合い方」とか、
それでコンテンツができることはいくらでもあるんですね。

けれどもコンテンツ化するには、
膨大な量の「記録」を自身でつくっていかねばならない。

まさに私が毎日ブログを書いているのは、
これが第一の理由なのですが、
結果、自分のブランドづくりや仕事の営業、
あるいは本のマーケティングにもなっているわけです。

何より自由に書いているから楽しいし、
多少なりとも、世の中に言いたいことを言える。
だから「一生楽しむ文章術」なんですね。

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