「成人になること」の意味
- 2023/1/9
- できる人研究所
1月9日は、
「1月の第二月曜日」ということで、
成人の日ですね。
昨日の日曜日に成人式を
行なった自治体が多かったから、
ちょっとニュースでも混乱していましたね。
正式な成人の日は、休日になる月曜日。
かつての15日から、
変更されてもう20年以上になります。
さらに「混乱している」というのは、
年齢もそうでしたね。
従来通り、20歳のみを集めてやるところもあれば、
18歳から20歳、
さらにはコロナで出来なかった年齢までも集めた
23歳くらいまでの方を自由に呼んで
成人式を行ったところもあったとか。
もちろん年齢別や18歳のみでやったところも。
ただ、
「皆が学生服を着ている成人式」というのは、
ちょっと違和感がありますよね。
そもそも「成人する」って、一体何なのだろう?
いつから日本は20歳なら20歳と決めて、
成人式をするようになったのか?
これが意外に最近のことで、
戦後の1949年に「成人の日」が定められたのが、
最初だとのこと。
成人=20歳になったのは、このときのことです。
それまではどうかといえば、
たとえば特攻隊の訓練兵には、
すでに12歳から13歳の少年が集められたと言います。
実際に飛び立ったのは、
最少で17歳くらいだったそうですが。
すでにこの年齢の人間に、
日本は重役を担わせていたわけです。
実際、武士の時代の元服も、女性の嫁入りも、
親の都合で勝手に行なわれるところがありました。
だから12歳で出陣することもあれば、
9歳くらいで嫁がされることも平常でした。
その意味で、「成人になる」ということは、
「役割を与えること」に等しいわけです。
そんな成人式に近いことは世界中にあって、
『武士道』でも紹介されているスパルタでは、
強制的に軍に入れられ
命懸けの武者修行に駆り出されたわけです。
生き残った人間だけが戦士として敬意を表される。
それが「スパルタ教育」の語源になりました。
画像は懐かしい映画、
「300(スリーハンドレッド)」ですね。
300人で20万人のペルシャ軍と
対等にやり合ったとされます。
まあ、完全に頭がおかしいといえばその通りですが、
歴史的に「成人になる」ということは
そんな覚悟を担わされることでもあったわけです。
それに比べると、今の日本の成人式は、
お祝いされるだけで、
そうした「責任」や「使命感」の授与からは
かけ離れているようにも思います。
選挙権とか、罰則規定のことではなく、
もっと教育的な面から、
「成人になる」という意味を
この国はちゃんと考えなければいけないんじゃないか。