始皇帝は「いい人」だったのか? 悪人だったのか?

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2月18日は、なんとなく肖像画が似た
2人の人間の誕生日だそうです。

1人はたびたび「武士道」の関係で書いている
上杉謙信さん。
そしてもう1人は、画像の人!
秦の始皇帝ですね。

始皇帝こと趙政さんが生まれたのは
紀元前259年の今日。
生誕、2282年になります。

生きていれば2282歳。
そんなに生きるわけがありませんが、
なんせ不老不死の研究をしていた方です。
そんな人に限って……ですが、
50歳という若い年齢で亡くなりました。

後世の評価も、
たいていは「悪人」というものでしょう。

中国全土を統一した初の皇帝ということでは、
大偉人である。
でも、強欲で残虐で、結局は一代でしか
国を維持できなかった。
彼の息子の代にして、国は滅んでいるわけです

ただ彼が「悪い皇帝」として
記述されるようになったのは、
儒教を否定したことも影響しています。

そもそも中国では、前の王朝を倒した王朝が、
その前の王朝を徹底的に否定します。
だから長く繁栄した「漢」という国に滅ぼされたことで
歴史的に不利なのですが、
秦王朝の場合は、のちに思想的に天下を取った
「儒教」も敵に回したわけです。
半分、権力者によって想像で描かれるような歴史書で、
悪人度が盛られていくのも当然になるわけですね。

ところが現代になり、
始皇帝の評価は変わってきています。

理由の1つは、中国の基本理念が儒教でなく、
共産主義になったこと。
とくに開放路線からは
「始皇帝陵」や「万里の長城」を観光資源として
売る必要もあったわけです。
その主役が大悪人では、あんまりです。

もう1つは、漫画「キングダム」の影響でしょうか。
確かにその人生は波乱万丈ですから、
魅力的な人ではあったのでしょう。

ただ、歴史的には失敗者だったことも事実。
なんせ王朝は一代にして滅んだわけです。

貞観政要』には、このように記述されています。

「秦の始皇帝は強い言葉で人を打ち負かし続けたことで、
人心を失いました」

この方の人生を見ると、本当に信頼したい人は
次々と周りから去っていき、
信頼してはいけない人だけが
周りに残ってしまったところがあります。

たとえば心から尊敬し、
官僚として迎えたかった「韓非」などは、
筆頭家臣の陰謀で自殺に追い込まれているわけです。

その理由に始皇帝さんは、あまりにデキがよく、
あらゆることを全部、
1人でやってしまったようなところがあるらしい。
さすが全土の統一者ですが、
その分、人を頼りにすることができなかった……。

本当は多少ヌケていて、
周りの人から支えられるような人のほうが、
強固な組織は作れるのかもしれないですね。

リーダーはデキ過ぎてはいけない。
周りの人間にもっと頼ろう!
教訓にしましょう。

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