世界を手にしかけた皇帝の最期のとき

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5月5日は「子どもの日」でしたが、
じつはこの方の命日でもありました。

ナポレオン・ボナパルト。
有名な画像はジャック・ルイ・ダヴィッドという画家の
『サン・ベルナール峠を越えるナポレオン』。
1800年に騎馬隊でアルプス山脈を越え、
当時は大国だったオーストリアに奇襲をかけた様子を描いたものです。

彼はフランス革命後に軍を掌握し、
18世紀〜19世紀にかけてヨーロッパのほとんどを支配。
フランスを大帝国にし、自らは皇帝となりました。
亡くなったのは1821年で、202年前のことになります。

私が現代語訳した『超約・戦争論』の著者、
クラウゼヴィッツは
プロイセン(ドイツの一部)という国の将校で、
彼に徹底的に打ちのめされた人物でした。

だからではありませんが、
彼の登場を「恐怖の時代の到来」とまで考えているわけです。
なぜなら彼が「戦争の概念を大きく変えてしまったから」。

たとえばA国とB国が戦争をするとき、
従来、戦うのはA国やB国の王に従属する
諸侯や貴族たちが組織する軍や、
彼らが雇ったプロの傭兵だったわけです。

それでA王が勝てば、B王は仕方ないから、
民衆も含めてAに従うことにする。
ようは「強い」と証明された国に、弱い国が従っていく
一種のゲームのようなことが繰り返されていたわけです。
日本の武士による戦争も、
やはり同じような側面がありました。

ところがナポレオンは、田舎の貴族ではあったのですが、
革命によって成り上がった、民衆を束ねたリーダーです。
その軍勢には、民衆の中から希望する人間が、
大勢参加していました。

すると、いままでのゲームのような戦争とはわけが違います。
ナポレオンの概念では、どっちが強いかではない。
「B国をすべて滅ぼして、
全部をA国に吸収してしまえばいいではないか」
となるわけです。

だからクラウゼヴィッツは、
「彼は戦争を、恐ろしく暴力的だった
原初の概念にまで引き戻した」と言っているわけです。
彼の心配は見事に的中し、
現代では武器の威力が地球の限界までを突破したことで、
戦争の可能性が人類の滅亡につながる恐怖にまでなっています。

そんなナポレオン、
1814年には世界が協力した軍勢に敗れ、
一時は地中海のエルバ島に追放されます。
そのときは自殺も考えたとか。

ところが協力していたはずの世界が
一向に混乱をまとめらない状況を見るや否や、
地中海の島から脱出し、パリに帰還して、
あっという間にフランスのリーダーに返り咲きます。
これが「百日天下」ですね。

最後には抵抗も虚しく、再び連合した
イギリスやプロイセンなどの国にナポレオンは敗れ、
今度は大西洋のセント・ヘレナ島で幽閉されるわけです。
死んだのはその6年後、51歳のときでした。

過酷な島で病気となり、
うなされながら亡くなったかつての英雄。
その最期の言葉は、
「神よ、フランス国民、私の息子、軍隊の先頭……」
というものだったそうです。

まだまだ頭の中では、国を強くすることを考えていた。
よくも悪くも、これだけ執念のある人が
世界を変えていくのでしょうね。

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