「人類は皆、兄弟」と言ったのは誰?

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画像は、2月に日本赤十字社を通して寄付をした
「ウクライナ人道支援」の受領証です。

『超約・戦争論』からの利益を少しだけ
還元させていただいたのですが、
律儀にちゃんと領収書をくれるんですね。
経費にできるから、会社としてはありがたいです。

ちなみに「トルコ・シリア地震」の支援のほうは、
差出人にが小池知事になっていました。
「東京支部」の窓口だと、トップはそうなるんでしょうね。

これを出したのも、
5月8日が「赤十字の日」だからです。

なぜそうなっているかといえば、創設者である
アンリ・デュナンさんの誕生日なんですね。
1825年生まれ、生誕198年になります。

デュナンさんは第1号の「ノーベル平和賞」の受賞者であり、
「人類皆、兄弟」をモットーにした人。
そもそも「赤十字」というシンボルは、
彼の母国であるスイスの旗を逆転させたものでした。

けれども彼が赤十字を始めるまでの経緯は、
他人が真似できるようなものではありません。
かなりこの方、無茶な努力をした人です。

というのも、もともと彼は銀行員だったんですね。
そこで当時、フランスの植民地だった
アルジェリア支店に赴任するのですが、
ここでいかに戦争の犠牲者たちが
苦しい生活をしているかを知りました。

それからボランティアで救援活動を始めたのですが、
これが本格的になったのは、
1859年にイタリアで統一戦争が始まってから。
「敵も味方も関係なく、苦しんでいる人を助けよう」と
慈善事業の輪を広げていきます。

ところがその間に、彼が勤めていた銀行は倒産。
慈善事業として始めたプロジェクトも
ことごとくうまくいかず、
彼は借金を背負いながら、ほとんど浮浪者のような生活を続け、
何とか執筆業の収入のみで、
救援活動を維持し続けたそうです。

最後はスイスの病院長の配慮で、
病室の1室を自宅として、そこで執筆活動をしていたとか。

ところが1900年代になって、
彼の考えがドイツの新聞で紹介され、
過去の活動が再び脚光を浴びるようになりました。
そしてノーベル平和賞の受賞を機に、
現在まで赤十字社が発展することになったんですね。

そこまで自己犠牲的に生きることが、
果たして正解なのかと言われると賛同できかねますが、
彼は「無理だ」と言われたことを執念で最期までやり遂げ、
多くの人に愛されながら、
前代未聞の偉業を成し遂げたことは確かなようです。

人類が皆、兄弟のように助け合う。
「無理でしょ」ではなく、
「可能だ」と考えることから、
すべては始まっていくのかもしれませんね。

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