知らなかった! 生涯、日本を愛した鉱山学者

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5月10日は「地質の日」なのだそうですが、
およそ15年前の1876年、
画像の「日本蝦夷地質要略之図」が作成されたことに
ちなんでいるそうです。

つまり日本初の、本格的な地質図。
同時に、当時はまだ未開拓で
ほとんど知られていなかった北海道の全貌も、
地図で明らかになったわけですね。

画像は「日本地質学会」のHPより、
北海道大学附属図書館所有のもの。
美しい4色刷りですが、当時の日本に
カラー印刷があったわけもありません。

じつは「浮世絵」の版画技術が、使われているそうです。
さすが江戸の職人たちですね。

でも、それ以上にすごいのは、
今の地図とほとんど変わらない。この正確性です。

これを作成したのは、
アメリカからやってきたお雇い外国人、
ベンジャミン・スミス・ライマンという人。
鉱山開発のプロだった人ですが、
明治政府の依頼で1872年に来日、
北海道に眠る資源の調査にあたりました。

全土をめぐっての地質図はその成果の1つでしたが、
彼は4年をかけてこれを作成。

なんせ極寒の地であり、
道路もほとんどない荒野だった北海道です。
大森林に、雪山に、湿原に、熊や狼に……と、
相当な大冒険だったとは思います。

しかも住んでいるのは、アイヌの人たち。
それに対して、日本語すらできない、ライマンさんです。

日本語とアイヌ語を同時学習しながらの
強行調査だったそうですが、
それでも4年でこの難業を成し遂げたとのこと。

さらに3年をかけて北海道を探索し、
夕張炭鉱なども発見しているそうです。
日本が明治時代に強国になれたのも、
こういう方のお陰だったわけですね。

長い調査を経て、日本が大好きになったという
ライマンさん。
たくさんの鉱山学の弟子を育て、
「来曼」という日本名も持っていたとか。

晩年は「日本に住みたいな」と思っていた……という
話もありますが、
その願いは叶わず、アメリカで亡くなりました。
決して日本人が感謝を忘れはいけない方……ですね。

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