決して忘れてはいけない「母の力」

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5月15日は、「母の日」でした。

実家に戻ったり、母親に何らかのプレゼントを送ったり。
あるいは息子さんから自分がプレゼントをもらった、
という方もいらっしゃるでしょう。
あるいはお墓参りをした方も……。

コロナがようやく明けたあとの母の日でしたからね。
まあ、何もしていない方も
機会はこれからいくらでもあるでしょう。
私もそんな感じですが……(苦笑)

じつはもうすぐ編集協力した本で、
現在の「ホタル館富屋食堂特任館長」を務めていらっしゃる
武田勝彦さんの
人生を拓きたければ「知覧の英霊」に学びなさい
という本が刊行されます。
本についてはまた、発売されたら内容を紹介しましょう。

そこで今日はこの方を紹介したいのですが。
知覧の「富屋食堂」で、女将さんをしていた
鳥濱トメさん、という方。
「特攻の母」として知る人ぞ知る方ですね。
画像は公式ホームページに掲載されているものです。

鹿児島県の「知覧」といえば、
第2次世界大戦の末期、
特攻隊の基地が置かれた場所です。

その場所で、「富屋食堂」という食堂を
開いていたトメさん。
やがてこの食堂は陸軍指定の食堂となり、
若い兵士たちが食事をとる場所になっていきます。

それこそ明日に特攻の指令が降り、
自らの命を敵艦隊にぶつけることになる
パイロットたち。
その多くは、20歳前後の若い兵士だったと言います。

トメさんは毎日、彼らに好きな食べ物を食べさせ、
お母さん代わりになって話を聞き、寄り添い、
最期の時まで、心の安らぎを与え続けたんですね。

どうにもならないほどの悲しい役割と思いますが、
「自分がやらなければ」と、
ひたすら特攻兵たちを支え続けたトメさん。
ときには私財を注ぎ込んで、
彼らの「最期の晩餐」を盛り上げたそうですが、
日本人が決して忘れてはならない「母親役」でしょう。

特攻を終えた兵士の魂がホタルになり、
最期の挨拶をするために訪れたと言われる富屋食堂。
トメさんなき現在も、
「ホタル館富屋食堂」という食堂となり、
現在も知覧の地に残っています。

特攻兵たちの方々は死ぬ前に手紙を多く遺していますが、
そのほとんどは「母親宛て」だったとか。

お父さんはガッカリかもしれませんが、
何かと争いの多い歴史を動かしている背後には、
必ず大勢の母親たちの、
人を愛する思いも存在しているわけです。
現代においても、
そのことは決して忘れてはいけませんね。

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